付き合い始めてから知ったのだが、意外やイルカ先生は劣等意識が強いようだった。
 地は前向きな性分だし、それに溺れたり逃避したりということはなかったが、結構根強いものがあるらしく、なにかの拍子にひょいとオモテに出てくることがままあった。
 所謂「俺なんか」の考え方。
 それに俺はひどく驚いたものだ。
 こんな、お日様のような人でさえ自分のことをそう思うのかと。
 俺みたいにまともじゃない育ち方をしてきて汚い仕事をしてきた半キチガイならともかく。
 だが彼はきつい目をして俺には言うのだ。
 そんなこと言っちゃあいけませんと。
 「暗部の仕事は大切な仕事です。里を維持する為の、責任の重い大切な仕事です」
 オタメゴカシ。
 そんな言葉が俺のアタマに浮かんだが、彼はきっと本気でそう思っているんだろうな。
 暗部は里のエリートなんかじゃ決してない。例えば、アスマが言うように忍者が泥水稼業ならば、暗部はその底辺の一番どろどろした汚らしい臭い部分だ。だからこそ一番忍者らしいと言えるのかもしれないが。
 確かに里の維持には暗部は必要だ。
 抜け忍を始末したり、裏切り者を処罰したり、そうやって里のシステムを守っている。
 それに、収入の面でも。
 暗殺、謀略の料金は破格だ。通常の上忍Aランク任務とて比較にならない。だが世の中には大枚払ってでも己の欲望を満たそうとする人間がどれほどいるか。里ではそうやって得た収入でアカデミーに備品を揃え、老人の布団や赤ん坊の祝い品を買う。
 だから暗部は必要。毎年何人も命を落としても。毎年何人もおかしくなって癲狂院へ行く羽目になっても。
 それは分かっているけどね。
 だが彼が言っているのはそういうことではないのだろう。
 例えば。
 暗部でヒトゴロシや拷問専門にやってる連中以外にだって、人間を苦しませて思い切り惨たらしく殺すための(この手の依頼は多い。実に多いのだ)薬の開発に勤しむ研究部とか、任務で孕んだくの一のドブさらいをやる医者とか、いろいろ大きな声ではいえない仕事は結構ある。
 それら全部をこの人は差別することなく大切な仕事と言い切るのだろう。
 そんな仕事がある現実に唇を噛み、拳を握ったとしても。
 そんな彼を偽善的とか八方美人とか詰る言葉はいくらでもある。だが彼はいつもそうだった。あるものはあるものとして認め、肩書きや集合で括ることなく個としてきちんと見ていた。だからこそ「ナルト」を九尾と忌むことなく、只の出来の悪い天涯孤独な少年として認めてやることが出来たのだろう。
 だからこそ。
 「写輪眼のカカシ」という暗部上がりのキチガイ相手にも優しい気配りが出来たのだろう。
 俺はそんな彼の公平さを愛しいと思った。
 例え本人が無力なだけですよと悲しげに目を伏せても。
 そのだらしないまでの懐の深さに憧れた。

 

 

 「イルカちゃンかい、可愛いねえ」
 そう言ってアスマはげらげらと笑った。青っ切りでかあっといって。
 「気持ちのいい男だよな」
 ガイはそう言ってにやにやと笑った。
 こいつら二人ともクセは強いが人を見る目は確かだった。
 うん、そう。可愛くて気持ちのいい人。
 「だからお前が色を掛けてもぜってえ靡かないと思ってたんだけどなあ」
 「言えてる。どんな幻術使ってだまくらかしたかと」
 「人聞き悪いこと抜かすな」
 「何が悪いって?」
 遅れちまったねと言いながら入って来た紅はするりと俺とアスマの間に座った。カウンターに手を振りながら
 「子供達の仕事が押しちゃってさ。吉徳列。それに焼き鳥、塩ね。あと冷和物・・・で、何が悪いって言ってるの?」
 「お前カワイイもん飲むなあ、ウワバミのクセに。カカシのがつの話だよ」
 「がつ言うな、クマ」
 情夫と言われて合点がいったらしく紅はきゃらきゃらと笑った。今日は機嫌がいいようだった。
 「あら、イルカ先生のどこが悪いっての?」
 「違うよ、カカシの手が悪いってことさ」
 余計なことをガイが言う。それは言えてるわ、と紅はまた笑う。元から華やかな女だからこうして機嫌よく笑うととても綺麗だ。本人には口が裂けても言ってやらないが。
 「言ってやれよ、紅。このとんちき、てめえのがつの評判俺達に聞いてくるんだぜ。甘気付きやがって」
 「受賃もらわんとな。じゃ、ここはカカシの奢りってことにするか」
 「うわ、余計なコト言うなガイ!」
 「なに?どうしたのさ?イルカ先生の身上調査?アンタ所帯でも持つつもり?」
 がくり、と俺は頭を垂れた。
 「なによ、ソレ」
 「あら、違うのお?」
 しれしれと紅は言う。
 「自慢したいんだよ、こいつ」
 ガイが可笑しそうに言う。
 「確かにイルカ先生はこいつにゃ過ぎてら」
 アスマも放り投げるように言う。
 「優しいもんねえ」
 お待ち、と店主が持ってきた焼き鳥と酒を目を輝かせながら受け取って紅は上の空のようにそう言った。だが、お腹空いて空いてとかなんとか言った後、不意に俺の目を覗き込むようにして、聞いてきた。
 「それで、カカシ、あんたは幸せ?」

 

 

 彼はいつも西側の箪笥の上に、湯飲みにいっぱいの水を置いていた。
 それを毎朝取り替える。
 朝、まだすっきりしない半分寝とぼけた頭で、俺は彼の臥所から何度もその様子を見た。
 「以前、依頼人に教わったんですよ」
 彼は恥ずかしそうに言っていた。
 供養だとその品のいい老婦人は言ったそうだ。
 彼女の夫は侍で、息子も三人ともそうだった。曲がったことが容認出来ない質で、いつも貧乏籤引いてたわ、と愛おしそうに言って。
 「結局皆私より先にお花畑を越えていってしまったの」
 けれど長男の嫁と二人の孫がいるから私は幸せよと小鳥のような仕種で笑って言った彼女が、末の息子の遺骨を引き取る為に半月かけて他国を旅する際に護衛として雇った忍者に教えてくれたこと。
 「死んだ人も喉が渇くんだそうですよ」
 だから毎朝お水をあげるといいんだそうですよ。そう言って彼は慣れた様子で湯飲みの前で手を合わせた。
 俺はその話を聞いて、はあとかほおとか訳のわからない声を喉から出しただけだった。死んだ人間の喉の渇きまで心配してやるのか、このヒト。道理で生きてる人間にあれだけお節介な筈だよ。
 そう考えてから、ああ、と気付いた。
 「親御さんに?」
 「ええ、まあ、・・・それと」
 彼は静かに目を伏せて。
 「俺のスリーマンセル時代にお世話になった先生や、殉職した仲間と」
 らしいなあと感心していた俺は次の彼の科白に我が耳を疑った。
 「それと・・・俺も、忍者ですから。きれいな手をしてる訳じゃありませんから」
 「はあ?!」
 思いっきり頓狂な声を出してしまったが。
 「なんですか、あなた殺した敵の分も入ってるんですか?それ」
 「・・・え、まあ。はあ」
 「何言ってんですか、そんなの変ですよ!」
 俺はすっかり呆れ果てて言った。これはもう優しいとかお人よしとかいうレベルじゃあない。
 馬鹿か、このヒト。
 「あなたが殺人したのは仕事だからでしょ。気に病むことじゃないでしょうに」
 「仕事だからですよ」
 俺があんまり呆れたように言ったのが気に障ったらしい。むっとした口調で彼は言い返してきた。
 「私怨で殺した相手じゃあないんですから。こちらも仕事、あちらも仕事。互いの義務を果たした結果です。仕方のないことだったんですから、せめて・・・これくらいは」
 「にしたって・・・」
 「・・・俺の後ろめたさも確かにあります」
 言い難そうに、そう言うと彼はまた小さく笑った。
 「水いっぱいで良心の呵責が減るならお得なものでしょう?」
 だが努めて軽く口にした彼にそぐわぬその言葉が彼の真意を余計に浮き立たせて、俺は黙り込んでしまった。
 このヒトは。
 いきなり俺はそのままぐいと彼の両腕を掴んで臥所に引きずり込んでやった。馬乗りになって乱暴に口付けた俺を、彼は言い負かされた意趣返しと受け取ったようだが構わなかった。両手で力任せに押さえつけ、抗議する口を何度も何度も塞ぎながら、俺はこのヒトが好きだと思った。
 この弱くて強くて直向なヒトが大好きだと思った。
 そうして、このヒトを見習って俺も水を汲もうかと考えて、やめた。
 どんな習慣も続いたことのない俺だ。仕事で家に帰れないことも多い。毎日水を供えるなんてムリだ。やったりやらなかったりするなら、最初からやらないほうがマシだろう。
 だいたい。
 イルカ先生が湯のみいっぱいなら、俺なんて風呂桶くらい必要だ。
 角度を変えて口付けながらそう思って笑った俺を、彼は不思議そうに見ていた

 

 

 世慣れた上忍連中と、世間知らずな下忍の子供達が、同じように口をそろえて言う、イルカ先生像は多分間違っていない。
 けれどそれだけではない部分も確かに彼の中にはあって、俺はそれを数えるのが嬉しい。
 彼の一番になれたような気がしたから。
 彼にはうんざりさせられたり苛々することも多いけれど(そして多分それは向うも同じコトだろう)それでも俺は彼を理解したいと思った。こんな俺でも好いてくれる彼のことを。
 ガイは俺を「ムカツク」と睨む。
 アスマは俺を「とんちきが」とののしる。
 紅は俺を「馬鹿ね」と笑う。
 三代目は俺を「仕様のない奴じゃ」と叱る。
 サクラは俺を「だらしない」と怒る。
 サスケは俺を「それでも上忍かよ?」と呆れる。
 ナルトは俺を「ふざけんなあ!」と怒鳴る。
 そして。
 イルカ先生はこんな俺のことを、睨んでののしって笑って叱って怒って呆れてそして怒鳴って。
 それでも好きだと言ってくれるのだ。
 いろいろ足りないキチガイの俺でも、俺がいいと言ってくれるのだ。
 俺もこのヒトがいい。
 お日様のような笑顔の裏でいろいろつまらないことを引け目に感じている、この中途半端なヒトがいい。
 それが愛とか恋とかそんなきれいな響きの名前を持っているのかどうか、俺には分からない。でも、そうだったらいいなと思った。
 漠然と、思った。

 

 

 彼は俺に綺麗ですねと言って笑う。
 それは里のなんてことない夕焼けだったり、霞のような桜の花だったり、冬の晴れた夜の星だったり、夏に音も立てずに飛ぶ蛍の群れだったりした。
 彼はいろいろなものを綺麗だと言って笑う。
 だから俺もはい綺麗ですねと返事する。
 彼と一緒だと綺麗なものがたくさん見られたようで、得をしたような気分になれた。
 嬉しかった。
 次は、何を綺麗だと教えてくれるのだろう。

 

 

 彼と会えてよかったと思う。
 今まで何度もああもう死んでもいいかなと思うことがあった。けれど死ななくてよかった。彼と会えたから。
 俺は命根性の汚かった過去の自分をこっそり誉めてやりたいと思う。
 まともじゃない育ち方をしてきて汚い仕事をしてきた半キチガイの俺を好きだと言ってくれる彼と会えたから。
 だから、彼が彼にしか分からないような劣等意識でへこんでいる時は彼の頭をつかんでやるのだ。そうしてまた「俺なんか」とかなんとか抜かす彼の口を顔ごと俺のぺたんこの腹へ押し付ける。それから、両手で頭をきゅうっと抱いて、背中を倒して彼に被さるようにして笑ってやる。ほんの少しだけ、優しい気持ちになりながら。
 いつも一緒にいられたらいいなと思う。
 けれど俺にも彼にも役目があるからそれは出来ない。
 だから、一緒にいられる時は嬉しい。
 彼も嬉しいと思ってくれたらいい。
 そしてたくさん話をして、いろいろな表情が見たい。
 手を握ったら握り返してくれたら嬉しい。
 それから時々・・・ちょくちょくセックスもしたい。
 こういうのを不抜けたと言うのだろう。自分でも恥ずかしいなあとは思う。
 けれど。
 俺はこのお日様のような、だらしないまでに懐の深い、弱くて強い、綺麗なものを探すのが上手いこのヒトと一緒にいたいから。
 まだ暫くは死にたくないと心の底から思うのだ。