上忍専用のラウンジはうらうらとした日差しで満たされていた。
 喫煙OKなそこは壁にも天井にもヤニが染込み、独特の匂いが鼻をつく。銀色の髪の上忍も、その匂いの染み付いた古ぼけて色の変わった長椅子に腰掛けていた。
 「はい、先生どうぞ」
 「あ、どうも、スミマセン」
 自販機から買って来た紙コップに入った唐茶を手渡しながらイルカが小さく笑う。
 「熱いから気をつけて下さいね」
 カカシ先生、猫舌だから。
 からかわれたと思ったのか、カカシの頬が薄く染まった。
 「あ、お金」
 「ああ、結構ですよ」
 「でも」
 「中忍の薄給でもこのくらいの出費は堪えません」
 おどけるように胸を反らし、あはは、と笑うイルカにつられる様にカカシも小さく笑った。
 「スミマセン、じゃあ」
 「ええ、どうぞ」
 ふうふう、と冷ますために唐茶に息をかけるカカシを見ながら、イルカも静かに自分の紙コップに口をつけた。
 ややあってから、
 「それで」
 とイルカはカカシに問うた。
 「お話というのは?」
 「はい」
 カカシは彼にしては珍しく、躊躇うような表情で手の中の唐茶を見つめていた。イルカはそんな彼を急かす事もなく行儀良く次の言葉を待っている。
 「イルカ先生」
 「はい」
 「その」
 「はい」
 「俺達、他人行儀すぎやしませんかね?」
 「は?」
 その、と視線を泳がせながら言うカカシは相変わらず歯切れが悪い。
 「なんていうか。・・・だって俺達、その」
 「先生・・・」
 「そう!それなんですよ!」
 がば!とカカシは顔を上げた。その勢いに思わず腰が引けたイルカに、ずいと顔を突き出すようにして、
 「俺達、恋人同士でしょ、なんで『先生』なんて呼び合ってるんですか?!」
 「え・・・」
 「止めま、せん?」
 そう言ってイルカを正面から覗き込むカカシの頬が薄っすらと赤い。
 「カカシ先生・・・」
 「だから、先生は止めましょうよ」
 「カカシ先生」
 「だから、止めましょうって」
 「カ・・・」
 イルカは困ったように口を閉じた。ちらりと見れば、カカシは頬を染めたまま下を向いてしまっていた。死刑宣告を待つようなその表情にイルカは目を細める。
 「じゃあ」
 イルカが小さく声をかけると、カカシはちらりと彼の顔を見上げた。上背のある彼が上目使いで見てくる様子は妙に幼くて可愛らしい印象がする。
 「俺、なんてお呼びすればよろしいですかね」
 ぱっとカカシの顔が輝いた。
 「カカシ・・・さん、とか」
 「カカシさんんー?」
 思いっきり不満げな表情でカカシが喚いた。
 「なんですよー、それ。なんで『さん』付けなんですかー?!」
 「だ、だって仕方ないですよ、カカシ先・・・アナタ、上忍で俺中忍なんですよ?やっぱりつけなきゃいけないけじめがあるって言うか・・・」
 「そんなもん・・・」
 「駄目ですよ」
 「先生・・・」
 むう、とカカシはむくれてみたが、イルカの頑なさは知っている。仕方ないと諦めたのか、ひとつ伸びをしてから長椅子に勢い良く凭れかかった。
 「取り敢えずはそれでよしといたしますか」
 「恐れ入ります」
 苦笑するイルカに、
 「呼んでみて下さい」
 そう言ってカカシはにっと笑った。
 「・・・」
 「ホラ」
 「カカシ・・・さん」
 「はい」
 ごーかっく!と親指を立てるとカカシはにっこり笑った。イルカもつられて笑った。照れくさそうに、鼻の頭の傷をぽり、なんて掻きながら。
 「あ、それじゃあ俺はなんてお呼びすればよろしいですかね?」
 「お好きなように」
 今度はイルカが少し悪戯っぽく笑って言う。
 「俺は呼び捨てでも全然OKですからねー」
 「なんですよ、ソレ」
 また、むうとむくれるカカシ。
 「なんだか、俺損してるみたい・・・」
 「呼んで下さいよ」
 「・・・イルカ」
 「はい、カカシさん」
 間。 くすりと、どちらからともなく笑いがこぼれた。
 「な、なんだかくすぐったいですね」
 「ええ、でも・・・」
 「でも?」
 「なんていうか」
 イルカはまた鼻の頭の傷を掻く。困ったり、躊躇ったり、・・・照れた時の彼の癖だった。
 「ちょっと、カカシさん、との距離がまた縮まったような気がして・・・凄く嬉しいです」
 「・・・イルカ」
 ぷ。
 ぎゃーっはっはっはっはっは!
 ヤニ塗れの天井にハイテンションな笑い声が響き渡った。
 「悪いな!悪い奴らだなー、お前等!!」
 そう笑いながら、高らかに叫んだのは・・・ガイだった。
 そして。
 イルカも腹を抱えたまま、悶絶している。ひくひくと揺れる肩が彼のダメージを雄弁に物語っていた。
 カカシと来た日には。品なく大股を開いて右手を背凭れに回し、左手でばんばんと膝を叩いて大声で笑っている。
 「いやあ、もお!」
 いきなりイルカが叫ぶ。その目には涙まで浮かんでいた。
 「どうしようかと思っちゃったあ!アタシ初めてアンタのことイトオシイとか思っちゃったわよう!」
 受けてカカシが仰け反って笑った。
 「俺も俺も!いやあ、もう抱かれてもイイかもって思っちゃったぜ!」
 「ホント?!やだわあ、じゃアタシこの衝動を堪えなくてもよかったのねー?!」
 両の手をぐうと握り、脇を締めたポーズのまま身体を左右にぶんぶんと振ってイルカが叫べば、
 「おう!どんと来い。優しくするなら好きにして!」
 そう言って満面の笑みでカカシは胴衣のジッパーに手をかける。その異様なノリの背後では思い切り腹筋を使ったガイの笑い声が響きっぱなし。
 が。
 どばきゃ。
 三人が固まっていた場所に観葉植物の鉢がまとめて放り込まれた。それもえらい勢いで。
 「てめえらあああ!」
 天井に貼り付き難を逃れた三人に、地獄の底から響いてきたような声を浴びせかけてきたのは。
 木の葉隠れの里にその人アリと謳われた、写輪眼のカカシだった。
 「なにをやっとる、なにをお!!」
 「なにをって・・・」
 天井に貼り付いたままのイルカとカカシは顔を見合わせた後、打ち合わせもナシに声を揃えて言った。
 「あるホモの愛に満ちた日常の一コマ」
 ばきゃ。
 天井に二箇所いっぺんに植木鉢が飛んだ。砕けた鉢に罪はない。投げた奴と避けた奴が悪いのだ。けれどラウンジは土塗れ。
 「あーあ。困ったヤツだなあ、カカシ。これ掃除すんのタイヘンだぞお〜」
 生徒に言うような口調でたしなめるガイにぎんっ!とガンを飛ばしてカカシはまた喚いた。
 「やかましい!オマエらまたナニやってんだー!その変化はどういう了見だ?!クマ!アバズレ!」
 「あらん、バレちゃった?」
 しなっと腰を捻ってイルカが笑った。その後ろでは豪快にカカシが腕組みをして笑う。
 「はっは、照れるなカカシ」
 「誰が照れてンだよっ?!」
 「客観的に自分の姿見せられると照れるもんだよなあ」
 「ふざけんな、どこが自分の姿だ泣かすぞクマ!」
 「んんー?普段のオマエらってあんなもんだろうがあ」
 「黙れ激マユ」
 「ね、そうよねえ?アタシ我乍ら秀逸だと思ったもの」
 「変化もさることながらキャラもがっちりつかめてただろ?」
 「ああ。いいカンジにイルカカしてたと思うぞ〜」
 「ふざけんなあ!」
 またもや植木鉢。
 「あれのどこがオレとイルカ先生だっていうんだよっ?!悪意を込めたカリカチュアしやがって!誰があんなムズ痒いホモ丸出しな会話するかー?!」
 ・・・うっわあー・・・。
 鼻息荒く抗議するカカシに一気にひく三人。
 ・・・おマエ少しは客観的に自分を見ろよ。
 三人揃ってそう心の内でツッコむ。
 「まあ落ち着けって。ナニ?お前珍しいじゃねえか。休みに今時分からオモテふらついてるなんざ」
 そう言ってカカシに変化したままアスマは片手を衣嚢に突っ込み、煙草を取り出す。無造作に面布を引き摺り下ろすと器用に片手で燐寸から火を点けた。その線の細い、ぎすぎすとした顎のラインや少し根性悪げにも見える薄い唇が鏡の中に見える自分そっくりなのにカカシはこっそり眉を顰めた。受け持ちの子供達でさえまだ知らない自分の素顔を記憶だけでこれほど再現できるアスマとの付き合いの深さにげんなりとしたのだ。
 ああうぜえ。
 「そうだな。オマエいつも休みは日が暮れるまで寝てるよなあ〜」
 「・・・そういうワケにもいかないでショ、今は」
 「ああら、何?流石のカカシも試験中の教え子達が心配で惰眠を貪っていられないってわけ?」
 「それはオマエもだろ。・・・あのさいい加減にその薄気味悪い変化とけ、紅」
 あらと紅は鼻を鳴らした。
 「お気に召さなかったかしら、カカシせんせ?」
 そう言ってしなっと左手を腰に当て、右手を後頭部にやり身体を捻って上目遣いにカカシを見やる。・・・イルカの姿のままで。
 「はっは、イルカ先生セクシービームだな」
 「ひゅーひゅー」
 またもや植木鉢を掴みかけるカカシ。
 「まあま、落ち着けって」
 「おマエもだ!いつまでもヒトの格好してんな、使用料とるぞクマ!」
 咥え煙草のままカカシを後ろから羽交い絞めにするカカシにカカシは叫んだ。ああややこしい。
 普段カカシが晒すのを嫌っている素顔のままでアスマは煙草をふかしている。それは面布をしたままでは煙草は吸えないのだから当たり前と言えば当たり前だが、やはりカカシには彼の悪意が感じられて仕方がない。
 「なあに、相変わらずキンキンしてるわねえカカシ」
 「はっはオンスか?」
 「黙れってんだ激オカッパ!!」
 「アンタが一番うっさいわよ」
 「誰の所為でどなってると思ってんだオマエら!」
 「おいそれくらいにしといてやれや」
 咥え煙草カカシが自分の責任棚上げで言ってきた。
 「コイツ試験始まってから愛しのイルカ先生に相手してもらえなくて寂しいんだからよ」
 中忍試験の間は里の駐在扱いの上・中忍は殆どそれにかかりきりになる。担当の試験官によって試験内容は異なる為、その用意も手間も半端ではないのだ。アカデミーの職員であるイルカも大忙しだった。
 「ああじゃあこの間の飲みが最後に二人きりであった時なのねえ」
 「あの時はイルカも機嫌よかったのになあ〜」
 「仕方ねえよなあ。口出し無用言っちまうんだもんな」
 「ほっとけ!っていうかなんでオマエら俺とイルカ先生が飲んだとき知ってるんだよ?!」
 恐るべし忍者の里。プライバシー紙の如し。
 「にしたって、公衆の面前でアレはねえよなあ」
 「イルカ面目丸つぶれだぞお、アレじゃ。はっはっは!」
 「ぐっ」
 自分でもちょっと言い過ぎたかなあとは思っていたのだ。
 でもオレ間違ってないもん。
 自分に言い訳するところが既に弱気のカカシだった。
 「それともナニか、アレ新しい羞恥プレイか?屈辱系の」
 「黙れ薄らボケェ!」
 自分と同じ顔に思い切り怒鳴りつけるカカシにイルカ姿の紅は溜息を吐く。
 「ほんとに煮詰まってんのねえ」
 カカシ、と呼ばれ植木鉢を掴む寸前のカカシが振り向くと。
 「そうならそうと早く言いなさいよ。さあおいで。あちこち思い切り撫でくりまわしてやるからさあ」
 イルカの姿のまま、両手を広げてにっこりとイルカの声のままでそう言う。もちろんあのお日様のような笑顔で。
 「あ、カカシひっくり返った」
 「あ、泣いてら」
 「やだ、そんなに嬉しかった?」
 「誰が嬉しいかこのアバズレー!!」
 長椅子が飛んだ。
 太い螺子で思い切り壁に固定されていた長椅子が、二座席分ほど引っ剥がされて空を飛んだのだ。
 どんがらぐわっしゃ!
 またしても天井に貼りつきかすり傷一つない三人に向かって傷心のカカシは叫んだ。血圧上がりっ放し。
 「オマエらいい加減にしろー!俺はともかくイルカ先生を貶めるなあ!」
 「なによう、慰めてやろうとしたのにさ」
 「ふざけんな、イルカ先生がそんな口きくか!」
 「はっは、照れんな今更。どうせいつもやってるこったろうがよ」
 「馬鹿言えー!イルカ先生とオマエら性獣を一緒にすんなあ!!」
 間。
 「え?」
 三人が改めて見やれば、カカシの顔は真っ赤だった。と言っても彼の装束ゆえそうと判別出来るのは右目の周囲のほんの僅かの部分だったが、それでも、明らかに。
 「やだ、なに?」
 天井から離れた紅が真剣な表情で呟くように言った。
 「イルカ先生ってインポ?」
 「わーっ!女がそういうコト言うなあ!」
 「じゃ、不能?」
 「だからそういうコト言うなって!ってか、ホントもういい加減変化とけ!」
 そう、紅はまだイルカのままだった。アスマも然り。
 「うわ、どうしたんだよ。めっきり下半身のヒトのお前が」
 「人聞き悪すぎるわっ、クマ!」
 「腹でも下してンのか?」
 「違うっ!」
 「じゃどうしたのよう?」
 変化したままの二人にぎゅうぎゅうと両側から迫られ、真っ赤になったカカシは絶叫した。もう体裁もなにもあったものではなかった。
 「イッ、イルカ先生は紳士なんだよ!教職者だし常識人だし!オマエらみたいなケダモノと一緒にすんな!」
 「ケダモノねえ」
 「つうか、アンタに言われたくないわねえ」
 「五月蝿い!俺とイルカ先生は純愛を育んでるんだからオマエらの薄汚れた色眼鏡で見ていろいろ言うな!」
 「いや、それって」
 天井から降りてから無言だったガイが唐突に口を挟んで来た。えらく哲学的な表情で。
 「単にお前がイルカにそういう対象に見られていないってことじゃないのか?」
 ぐさ。
 「おお、愛されてねえなあカカシ」
 「あら、じゃあカカシの一人相撲ってわけ?」
 「そこまでは言わんが不自然だよな〜」
 「どうせまたコイツ珍妙なアプローチしてイルカちゃンを思い切りひかせちまったんじゃねえの?」
 「有り得る話だわ。加減知らないもんねえ、カカシ」
 「あれ、カカシ?」
 カカシは撃沈していた。どうやら彼自身にも思い当たる節があったらしい。
 くったりと背中を向けて床に蹲るカカシに、アスマがあ〜あと面倒くさげに頭を掻き、紅はやだ、泣いちゃった?と口に手をやる。
 「おいカカシ」
 ガイが代表して歯を光らせながらその肩を叩くと
 「・・・珍妙なことなんてしてないもん」
 「もん」ってなんじゃ、「もん」て!
 嵐の如く湧き上がるツッコミを堪えて待てば、カカシは消え入りそうな声で、言う。
 「オレだって・・・変だなって思わなかったワケじゃないけど・・・大体がイルカ先生あんまりそういうコト興味なさそうだし。だからかなあって・・・」
 「そうかあ?あのセンセ、やりたい盛りのガキみてえな印象も・・・」
 「シッ!馬鹿、黙んなよ!」
 紅が引きもとらずに叩き込んだ膝蹴りにアスマは悶絶したが、カカシの耳にその台詞はばっちり届いていて、彼はますます落ち込みを深くしていた。
 「・・・・・・やっぱり・・・?」
 「あ、でも、ホラ!イルカって自制心が強いと言うか忍耐強そうじゃあないか!」
 「そ、そうよ、マゾ・・・じゃなくって我慢好きそうだし!」
 そんなガイと紅(でもまだイルカ変化中)のフォローはそらぞらしく響き、カカシはうつろな目で小さく笑った。
 「・・・そうかあ・・・やっぱりね・・・はは」
 うわあ。
 「よしっ!」
 ぴしゃりと手を叩くと紅は叫んだ。
 「アタシらに任せな、カカシ!あんたの想いをきっと叶えてやるから!」
 「へ?」
 「おおそれはいい考えだ!青春だなあ!」
 「アンタも勿論手伝うのよ、ガイ!」
 「勿論さあ!他ならぬマイ・ルゥアイヴアル、カカシの為だ!」
 「アスマ!アンタもよ」
 「仕方ねえな。乗りかかった船だ」
 にやにや笑うアスマの肩越しに蒼白になったカカシが叫ぶ。勿論誰も聞く耳は持ってはいないのだが。
 「ちょ・・・オイ待て!やめろよオマエら!!」
 「なに言ってんのよ」
 「遠慮なんて、らしくねえぞカカシ」
 「大船に乗ったつもりでいろ!」
 泥舟じゃん!思いっきり泥舟じゃん!!
 ますます蒼くなったカカシは必死に叫んだ。
 「やめろ!頼むから!余計なことすんな!大体なんでオマエらそんな熱心なんだよ?!」
 「あん、決まってるじゃねえか」
 「俺(アタシ)達」
 カカシのことを愛してるんだから。
 ぎゃあ。
 卒倒しかかるカカシに更に追い討ち。
 「でもアンタはあの中忍先生にベタ惚れ」
 「だったらここは潔く身を引いてだな」
 「愛するお前のシアワセのために一肌脱ごうってワケだ」
 「嘘だー!!」
 絶叫。
 「嘘じゃないって」
 言い切る三人の顔には。
 くっきりと『ヒマつぶしゲ〜ット!!』と書かれていた。
 ええ、そりゃもうくっきりと。

 

 そうして、三人がカカシの為に「らぶらぶアタック大作戦」と称していろいろと策を巡らしたり、陰謀を企てたりするのですが。
 それはまた、別のおハナシ。