「カカシ先生はどうして俺のことなんか好きになってくれたんですか?」
そうイルカが訊ねてみれば、彼の腕の中でまだ乱れた息を整えようとせわしない呼吸を繰り返していた情人がじろりと睨みつけてきた。
「俺『なんか』って言わない」
汗をかいた彼の白い身体はうっすらと紅潮していて。特に今イルカを睨んでいる目の際は紅を刷いたように染まっていてぞくりとするほど艶っぽかった。
「・・・すみません」
気圧されたように返せば、なんだかなあと呟いてカカシは大きく溜息を吐いた。
「もしかして俺、疑われてるの?」
「いえ、そうじゃなくて、なんていうか・・・」
「・・・あんまりだと思いません?イルカ先生。俺達、今の今まで何やってたと思ってんですよ?」
はあと呟いてイルカの鼻の傷が赤く染まる。それをちらりと流し見てカカシは再度なんだかなあと呟く。ひどく申し訳ない気分になったイルカは言い訳するようにぼそぼそと、
「すみません。でも・・・なんだか、信じられないって思う時があるんですよ」
そう言えば、カカシがじろりと睨む。睨んだままで話の先を促す。
「だって俺、あなたに好いてもらえるようなもの、何も持っていないですし」
「俺はアナタの持ち物に惚れたわけじゃありませんよ」
面倒臭そうにカカシは言う。切られてイルカははあと情けない声を出す。カカシはごろりと寝返りをうってイルカの部屋の薄暗い天井を見上げた。直ぐにイルカは彼の裸の胸を隠すように布団を引き上げてやる。
その優しい、だが殊更彼が意識したわけでもないだろう所作がカカシの機嫌を和らげたのか、首だけイルカの方を向け、小さな声で言う。
「・・・・・・れたから」
「え?」
聞き損ねたイルカに薄く笑ってカカシはもう少しだけ大きな声で繰り返してやる。
「あなたが、俺は悪くないって言ってくれたから」
可愛くない子供だと言われていたのは知っていた。
頚動脈をばっさりだぜ、しかも一撃で。
そう言って男は心底嫌そうに眉を顰め、唾を吐いた。
十二のガキの仕業かよ。
そうしなければ、彼がそうしなければ確実に敵に殺されていたであろう里の大人達は、忍者も、そうでない者も、彼のことを遠巻きにし、そう不快げに噂した。
自分の子供とそう変わらぬ年頃の彼の仕事振りに生理的な嫌悪を覚え、その手練に呆れ、恐怖した。
可愛くない子供だよ。
任務をこなせばこなすほど、そう言われた。
愛想のないのも原因とは分っていたがどうしようもなかった。
可愛くないと、そう囁かれ幼いカカシはそれを受け入れた。
俺はフツウじゃない。
涙はストレスの発露だと何かで聞いた。
悲しみ、怒り、喜び、恐怖、感動。
それらの強烈なストレスをやり過ごすため、涙を作り、体外へ排出するのだと。
だがカカシは泣けなかった。
いつ頃からだろう、泣けなくなったのだ。
感情が死んだわけではなかった。
だのに、泣けないのだ。涙が出ない。
悲しくても、辛くても、怖くても。
そうしてカカシは体の内に強烈なストレスを抱えたまま黙々と与えられた任務をこなした。
可愛くない子供だという囁きを背中で聞きながら。
「カカシ」
呼ばれて顔を上げれば、お日様のような笑顔だった。
「・・・先生」
「久し振りだね。調子はどうだい?」
ひょろりとした身体に相変わらず不似合いな注連縄をぶら下げたまま彼の恩師はにこにこと笑った。
「元気です」
どう答えればいいだろうと少し考えてから、カカシは大人が子供に望むであろうと考えた状態に近い返事をした。
「それはよかった」
そう言ってまた嬉しそうに笑う先生に気付かれないようにそっと土だらけの手を体の後ろに隠し身体をずらして足下を隠した。
「カカシ」
「はい」
実働部隊に配置されてからは疎遠になりかけていた恩師は、スリーマンセル担当指導員の頃と変わらない調子で里の最年少上忍の子供に優しく呼びかけた。
「なにを隠したんだい?」
「!」
びくりとカカシの肩が揺れた。優しい笑顔のまま、彼の顔から一度も目を逸らしてなどいないように見えた先生は繰り返す。
「その後ろになにを隠したんだい、カカシ?」
ヒトゴロシと。
そう言って投げつけられた泥はカカシの額にあたり、銀の髪に覆われた小さな頭と面に覆われた顔を汚した。
ヒトゴロシ、お前が父ちゃんを殺したんだ。
泣き喚くその顔はカカシといくつも違わないように見えた。
馬鹿何をするんだ、相手は忍者だぞと大人達に取り押さえられながらも子供は、硬直したカカシに尚も言葉をぶつけた。ぶつけ続けた。ヒトゴロシ、父ちゃんを返せ、生かして戻せと。
涙でぐしゃぐしゃの顔で血を吐くように、繰り返し。
ヒトゴロシ、ヒトゴロシと。
小さな村落だった。
木ノ葉隠れの里から抜けた男が此処へ逃げ込んできた際に持って来たのが禁呪の一巻だった。
ツイていたのかいなかったのか。山と積まれたダミーの中、男は正しくその巻物を盗み出したのだ。
その追跡の任が暗部に入って間もないカカシに下った。
指令書に書かれた名前は朱で塗りつぶしてあった。これは対象の生死を問わずを意味する。抜け忍の追跡には当然のように付けられる印だった。
男は里から離れた山間の村で暮らす兄を一旦頼った。そこで隠れて他国へ出奔する機会を窺っていたらしい。
らしいというのは実行出来なかったからだ。男の所在はあっさりとカカシに見つけられ、始末された。
だが、カカシはその際どうしようもないしくじりをやらかした。
男に食事を運んできていた兄も殺してしまったのだ。
追い詰められ、禁呪を使おうとした男に焦り、カカシはクナイを投げられるだけ放った。
男は針鼠のようになって死んだが、忍者の反射神経で最初の何本かを弾いて避けていた。
男が隠れていた狭い納屋の中でのことだった。
何本かのクナイは壁に刺さり、天井や床に刺さった。
が。
その内の一本が立ちすくんでいた男の兄の喉に刺さったのだ。
凍り付くカカシの目の前で滝のように血を噴き出し、人の良さそうな男は絶命した。
持ち出された禁呪は外道召喚の一巻だった。万が一呼び出しに成功したとしても、この男のチャクラでは到底制御出来まい。呼び出されたバケモノは召喚主に己を御す力がないと知れば暴れ出す。そうなればこの小さな村などひとたまりもなかったろう。カカシの判断は誤ってはいなかった。
だが。
少年の、優しい父を殺してしまったのも事実だった。例えカカシが直接手を下したのでなくとも。
「カカシ」
優しい声のまま、先生はまた彼の名を呼んだ。固まったカカシが返事も出来ずにいると、
「カカシ、そこを退きなさい」
「せ、先生・・・」
そう言ってゆっくりとカカシの方へ歩み寄った。
「・・・お前」
小さな子供の肩を抱きしめるように引き寄せ、その後ろを覗き込んだ先生の目が見開かれる。カカシはその大きな掌に包まれたまま顔を引き攣らせていた。小さな爪が食い込むほど拳を握り締めて。
カカシの後ろに見えたものは、小さな土の山だった。半分崩されたような形で、その上に刺さっていたのであろう小さな木切れが倒れていた。木切れは駄菓子屋で子供達が水飴をすくうのに使っているような小さなものだった。
だが彼の目を釘付けにしたのは、その直ぐ横に落ちているもの。おそらく、いや確実に彼の小さな教え子の手によるものであろう、それ。
「カカシ・・・?」
それは、小さな小さな、人形だった。
土の山の木切れと同じくらいの木切れを凧糸で縛って作ってある。それが大小併せて三つ、落ちていたのだ。
「カカシ・・・お前・・・」
禁呪の法でよく使う人形に似ていた。
他人の不幸を願い、邪な希望を乗せて命を吹き込む呪具。
こんな人気のない森の奥で、こそこそと隠れるようにそんなものを使って何をしていたのか。
「お前・・・」
子供は彼の腕の中で固まったままだった。息すら殺して。
だが。
「カカシ・・・お前って子は・・・」
彼は正しく理解した。
よく見れば土の山はひとつではなかった。木の裏側、隠れるように、それは。
「・・・!」
いきなり力任せに抱きしめられ、カカシの呼吸が止まった。ぐいと力をこめてしゃがみこむように先生は膝をついてカカシを抱きしめる。その両眼からぱたぱたと涙が零れているのに気付き、仰天した子供は叫んだ。
「せっ、先生?!」
叱られるかと思っていたのに、彼はカカシを抱きしめたまま歯を食いしばるように涙を落としていた。
当惑してカカシは小さな声で繰り返す。
「・・・先生?・・・先生」
因果な話だよ、と憂鬱そうにその特別上忍は言っていたそうだ。
任務の帰り道、偶然立ち寄った茶店で小耳に挟んだ小さな悲劇。
任務終了の報告の為立ち寄った斡旋所で囁かれた抜け忍を匿って追い忍に殺された男の家族のその後。
働き手を失っただけでなく、抜け忍を匿って村に迷惑をかけたと村八部にされ、元々体の弱い女房が心身ともに追い詰められるのにそう時間はかからなかったらしい。
泣き叫ぶ子供を無理矢理押さえつけるようにして滝へ飛び込んだ。偶々通りかかった山菜取りの娘等が慌てて知らせ、村中で川下を探した。
日が落ちてから見つかった二人の死体は抱き合ったままで、逃がすまいとするかのように母は子供の腕に爪を食い込ませていたという。
「抜け忍をかくまったんだろ?そりゃ仕方ねえよなあ」
「けどよ、実の弟に頼られりゃ誰だってよ」
「っつうかあ、その兄貴ってのまで殺す必要あったのか?フツウの樵だったんだろ?」
「それがさ、なんでもその時の追い忍ってのが、あの・・・」
言いかけてぎくりと身を強張らせる男の視線の先にいたのは。
同じく任務終了の報告に来ていた小さな子供の後姿だった。
その日かなり経ってから彼の恩師はその話を聞いたのだ。
やっぱり可愛くねえ、末恐ろしいガキだぜ、てめえの所業がどんな結果になろうが顔色ひとつ変えていなかったぜ。
彼にそう吐き捨てるように語ったカカシを普通じゃないと思い込んでいる大人達は、誰も彼に声もかけなかったという。
彼は斡旋所を飛び出して、カカシを探した。
そうして見つけた子供は。
薄暗い森の中、大きな木の陰に隠れるように作られた土饅頭。水飴の棒のような卒塔婆を立てて。
先生先生とよばれ、抱きしめる腕の力を抜いて顔を上げれば、小さな手が土をつけたまま、心配そうに頬を撫でてくれた。
「カカシ・・・!」
堪らず叫んだ。
「お前が悪いんじゃない・・・!自分が悪いなんて思うな、絶対、絶対、思うな!」
小さな子供の目がまんまるくなるのに構わず、叫んだ。
「人の生き死には神様が決めるんだ、お前がどうこうしたなんて思わなくていい。そこで死ぬのはその人の天命なんだ。自分の所為で誰かが死んだなんて思わなくていい!」
カカシ。
「お前は、決して悪くない」
肩を掴んで、脅しつけるように、涙でぐしゃぐしゃになった顔で彼は決めつけた。
「私が、知ってる。誰がなんと言おうが、お前は決して悪くない、カカシ」
だから。
「だから、自分を責めるな・・・追い詰めるな」
「・・・・・・せんせい・・・」
大きく目を見開いたまま、掠れた声でカカシが返す。全身を瘧のようにかたかたと震わせながら。
「ほんとうに?」
「本当だよ」
「俺、悪くないの?」
「ああ」
「ほんとう、に?」
「・・・先生の言うことが信用出来ない?」
ふるふると、横に振られた小さな頭。その両目からぼろぼろと涙が落ちた。
手違いで死なせてしまった男の墓。
こっそりと作ったそれに、家族を一緒に埋めてやろうとしていた。
遺骨の代わりの小さな人形。
自己満足と誹られそうな歪な謝罪。だが、それしかこの子供には思いつかなかった。この追い詰められた子供には。
「お前は任務を果たしただけだ。お前がきちんとやったお陰で助かった人が何人もいるんだ。お前は悪くない、悪くないんだよ、カカシ」
しゃくりあげる子供の背中を優しく撫でる。撫でながら、言ってやる。
「もし、それでもお前が悪いなんて言う奴がいたら先生にいいなさい。ちゃんとその人に言ってあげよう。お前は決して悪くないって」
不意に爆発したように大声で泣きじゃくるカカシの痩せた背中を抱きしめて、優しく撫でながら、この里で無敵と謳われていた彼も一緒になって子供のように泣いていた。
「・・・俺、言いました?」
しばらく考え込むように黙っていたイルカは申し訳なさそうにそう聞いてきた。その愚直さにカカシは内心腹を抱えて大笑いしながら澄まして言った。
「言ってくれましたよ」
「・・・はあ」
ぽり、と頬を引っかいて裸のままのイルカはすみません、と小さく言う。
「あの、俺、覚えてなくて・・・」
「でしょうね」
先ほどまでとは打って変わっての上機嫌でカカシは言う。
「イルカ先生は覚えてないと思ってましたよ」
「す、すみません」
「あんまり謝らないで下さいよ、俺つけ上がっちゃいますよ」
それなら今はそうじゃないとでも言うのか、カカシは喉を反らすように笑った。笑って、言った。
「言葉じゃ、ないですから」
「え?」
ころりとうつ伏せになったカカシはイルカの懐に潜り込むように擦り寄って、言う。
「イルカ先生の俺を見る目とか、笑いながらかけてくれる言葉とか、こうやって」
と、イルカの左手を両手に包んで自分の頬に押し当てながら、
「俺に触れてくれる掌とか、そういったものが」
うっとりと言う。
「俺は悪くないって言ってくれてる気がする」
「カカシ先生・・・」
「あなたが、そうして接してくれる俺は、もしかしたらそう捨てたもんじゃないのかなって、思える。そう悪いものでもないのかなって、俺の人生も、俺自身も。そう思えて、とても、嬉しいんです」
「悪いなんて、そんな!」
左手を捕まれたまま、イルカはついむきになって叫んでしまった。
「悪くなんて、ないです、カカシ先生は悪くなんてない」
「・・・ああ、言葉でも言ってくれましたね」
くすくすと笑われてイルカはまた赤くなる。だがその笑いが悪い意味でないと見て取ったのか、照れくさそうに笑ってカカシの肩口にキスをひとつ落とした。
「俺の人生で、そんな風に言ってくれたの、あなたで二人目なんですよ」
「え?」
「俺、あんまり好かれないから。そんな風に問答無用に無条件で俺の味方をしてくれた人はあなたで二人目」
そう言って何かを思い出すかのように静かに笑うカカシに、イルカの眉がむうっと寄せられる。
「イルカ先生?」
「・・・誰なんです?それ」
不機嫌な調子で言ってくるのにぷっと吹き出し、カカシは笑った。
「イルカ先生・・・もしかして妬いてるんですか?」
「・・・・・・・・・・・・・・当たり前です」
真っ赤なままイルカは口を尖らせた。
「カカシ先生がそんな顔でそんなことおっしゃったら、俺、気になるに決まってるでしょう?!」
「・・・アナタの知らない人ですよ」
ああ、この人は本当に、とこのうえもなく満たされた気分でカカシは笑う。
「でも、もし気になるなら」
身体を起こし、するりと掛け布団をずらすと、カカシはイルカに覆い被さった。裸のまま圧し掛かって来るカカシに慌てたイルカが頓狂な声をあげる。
「せ、先生?」
本当に、俺の人生も捨てたもんじゃないかもしれない。
心の底から言ってくれる人がいるなら。
「白状させてみて下さいよ、先生」
先ほどとは微妙に違う朱に染まるイルカの耳に口付けながら、カカシは笑みを含んで言った。
「優しく吐かせてよ、先生」
完
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