彼は歌が下手だった。
 張りのあるよい声であるにも拘らず、歌が下手だった。
 ところどころ調子の外れたそれを聞いて、俺が遠慮なく笑うと彼は赤面した。可愛いですよと言うともっと赤くなった。それがなんだか嬉しくて、俺は時々歌をねだった。
 彼の狭い臥所の中。二人で猫のように丸まって。

 

 

 彼が歌を歌っていた。
 子供達の高い歌声の中、彼の張りのある声は目立った。地声が大きいと言うのもあるだろう。
 橋の上、アカデミーの子供達と、歌を歌いながら通っていく。俺は受け持ちの「部下」達と橋の下にいた。日陰で遅い昼飯を食っていたのだ。
 「忍びイにはア、三つの習いあるぞかしイ、論と不敵とさては知略とオ」
 張り上げるように歌う子供達の歌声を聞いて、ナルトが言った。
 「なっつかしー!『百首歌』だってばよ」
 「なによ、ナルト。いっぱしぶっちゃって。アンタだってついこの間までアカデミーで歌ってたじゃない」
 「だってサクラちゃん、オレってば今一番伸びてるオトコだってばよ!もうアカデミーの頃のオレとは違うってばよ!」
 「どこが」×2。
 サスケとサクラの両方に突っ込まれむくれたナルトだったが、
 「?・・・カカシ先生どうしたってばよ?」
 「あ、いや」
 「ハラでもこわしたか?」
 「・・・お前といっしょにすんな」
 「先生?」
 覗き込んできたサクラに心配そうに声をかけられた。
 「あ・・・いや、今の歌な」
 「『百首歌』?先生もアカデミーの時習ったでしょ?」
 「あ、うん」
 どう話を繋げればよいのかと頭を掻いた時、ナルトが、
 「でも久し振りに聞いた気がすんなあ、イルカ先生歌ってんの」
 と言った。
 また、とサクラが突っ込む。
 「ナルト、イルカ先生イルカ先生って。アカデミーの頃とかわんないじゃない」
 「先生、俺達が卒業して年少組の担当になったみたいだからな。歌唱の授業もあるんだろ」
 この手の雑談には珍しく、サスケが参加してきた。けれど相変わらず面倒臭そうな喋り方で。
 「イルカ先生は歌は・・・」
 「上手いわよ」
 俺の問いにさらっと答えたのはサクラ。
 「普段あんまり歌ったりはしないけど。結構上手。あれで歌詞忘れて適当歌わなきゃもっと聞けるのにってくノ一クラスの皆も言ってたもの」
 ませた口調でそんなことを言う。
 「歌、上手いのか・・・」
 「あ、カカシ先生ってば聞いたことないのかぁ?」
 ナルトが得意げに笑ってそう言った。

 

 

 「あ、いらっしゃい」
 驚いたとも、待っていたとも取れる口調はいつもの彼らしかった。
 彼の部屋の狭い玄関の上り框、俺が買ってきた酒をすみませんと受け取ると、彼は笑った。
 「なにか食べるもの、作りましょうか」
 「イルカ先生お食事は?」
 「あ、さっき・・・」
 「なら、結構ですよ。俺腹へってないし」
 「ってことは食べてないんじゃないですか!ダメですよ、そういうの」
 母親か古女房のような口ぶりで台所へと入っていく。いつもと変わらなかった。
 「先生」
 「はい?」
 「・・・いえ、なんでも」

 

 

 ありあわせですけど、と言って彼が出してくれたものを二人でつつきながら酒を飲んだ。俺に気を使わせない為か、食事を済ませたと言う割に彼はよく食べた。
 「先生」
 「はい?」
 「アカデミー、年少組の受け持ちになられたんですか?」
 そう聞くと、彼はぱちくりと目を開いた。ひどく驚いたようだった。
 「ええ・・・よくご存知ですね?」
 「そりゃあなたのことですから」
 こういう言い方をすると彼がひどく喜ぶのが最近分かるようになった。ちょっと前までは顔を真っ赤にして止めて下さいとかからかわないで下さいとか言われたものだが。
 今も彼は頬を少し染めながら、そうですかと嬉しそうに笑った。
 「先生」
 いつもは可愛いと思う、時には性的な衝動すら感じる(大概にケダモノだよな、俺も)その笑顔がなんだか今夜はカンに障った。
 「歌、歌ってくださいよ」
 「え?」
 「歌」
 「・・・イヤですよ」
 彼は珍しく拗ねたような表情を見せた。
 「なんでですよ?」
 「だって、先生笑うでしょう?」
 そう言って恨めしそうな顔をする。だが俺はお構いなしに言った。
 「歌ってくださいよ、『百首歌』」
 「・・・え?」
 「今日、歌ってたでしょ。子供達と歩きながら」
 「なんで・・・」
 「いいから歌ってくださいよ。ほら」
 知らず、子供に罰当番を言いつけるような口調になっていた。彼はひどく困惑したようだったが、俺がそれきり何も言わないので、仕方ない、というように溜息をつくと歌い始めた。素直なもんだ。あるいは俺が質の悪い酔い方をしていると思ったのかもしれない。
 「忍びには、三つの習いあるぞかし、論と不敵とさては知略と」
 ・・・やっぱり上手かった。多少、酒の所為でろれるところがあったが、概ね口跡のはっきりした聞き易い歌だった。太い、しっかりとした歌声で聞いていて安心感があった。
 彼は歌い終わると窺うように俺を見た。それがまたなんとはなく、ひどくムカツく。
 「お上手ですね、歌」
 「・・・なんですよ、それ」
 刺のある言い方に、流石に彼もむっとしたようだった。
 「お上手だからお上手って言ったんですよ。なんですか、無理に下手くそに歌うことないじゃないですか」
 「なんですよ、それ」
 彼は同じ言葉を繰り返した。思っていることがはっきり分かる口元は早くもへの字型になっている。
 「無理に下手ってなんですよ?なんか今日はカカシ先生ヘンですよ」
 「無理にじゃないならわざとですよ。なんでそんなことするかな、先生は」
 「はあ?絡まないで下さいよ。何がおっしゃりたいんだか全然わからないですよ」
 「ダレが絡んでますよ、ダレが?先生俺のこと馬鹿になさってるんですか?」
 「それはこっちの科白ですよ。なんですか急に歌歌えとか、無理に下手にとか」
 「だから上手いなら上手いで普通にしてりゃいいでしょってことですよ。アナタまたワケわかんない遠慮してるんですか?」
 「・・・おっしゃってることさっぱり分かりません。馬鹿にも分かるようにちゃんと説明していただけませんか」
 「・・・なんですよ、そのイヤらしい言い方」
 「そっちこそなんですよ。今日のアナタは本当にヘンだ」
 かっちーん!
 なにがなんだか。
 「帰ります」
 「先生」
 「ヘンで絡んで説明不足で悪うござんした」
 「・・・送りませんよ」
 「結構!」
 叩きつけるように言うと、そのままの勢いで彼の部屋を飛び出した。ドアを思いっきり乱暴に開けて。いがんじまえ、安普請。

 

 

 ぷりぷり怒りながらしばらく歩いていたが、夜の澄んだ静かな空気のお蔭か、しばらく経つと落ち着いてきた。
 ・・・やってしまった。
 はあと溜息を吐く。
 なんだかひどく面白くなかった。それは本当だ。たかだか歌くらいのことでも。
 「忍びには、三つの習いあるぞかし、論と不敵とさては知略と・・・か」
 忍びの心得を簡単な旋律で覚えさせる為の歌だった。馬鹿みたいに繰り返し歌わされたので、今でもそらで歌える。この里の人間なら誰でもそうだろう。
 「偽りを恥と思わじ忍びには」
 小さな声で歌ってみた。
 「敵出しぬくぞ習いなりける」
 なんでわざわざ下手に歌うかな、先生は。
 先刻の子供じみた自分の態度がみっともなくて、俺は少し赤くなった。
 でも。
 調子っ外れの彼の歌が好きだった。
 ・・・そういや、俺は人前で歌を歌ったことなんかなかったな、と思った。
 例えば、俺が救いようのないオンチだったら彼の性格から言って、わざと俺の前で下手くそに歌うというのもあるかもしれない。けれど、俺は彼の前で歌なんて歌ったことはないのだからそんな気遣いはないだろう。
 彼が歌うのは。
 歌ってくれるのは、
 いつも臥所の中だった。
 行為の後の、少し疲れたような、掠れた声で歌ってくれた優しい子守唄。
 子守唄?!
 「あ!」
 ぎょっとした俺はつい大声で叫んでしまった。・・・人通りのない夜の往来でよかった。
 子守唄。
 そうなのだ。
 彼が歌うのはいつもそうだった。
 (子供の頃に聞いたきりなので、うろ覚えなんですが・・・お恥ずかしいです)
 そう言って恥ずかしそうに笑った彼の乱れた髪。
 「う・・・わ」
 俺は頭を抱えた。
 だって。
 気付いた。
 気付いたのだ。
 彼の歌。
 それは。
 彼は幼い頃に両親を無くしたと聞いた。あの災厄の赤い夜に。
 それから苦労してアカデミーを卒業したというから、今のナルトよりもずっと小さな子供だった頃。
 だから、彼が子守唄を聞いたのは、本当に昔だったのだ。
 彼に添い寝して、優しく子守唄を歌って寝かしつけてくれた母親がまだ生きていた頃。
 両親が亡くなってから彼に子守唄を歌ってくれる人はいなくなった。
 だから、忘れてしまっても教えてくれる人もいなくて、間違って覚えてても訂正してくれる人もいなくて。
 そんな彼の子守唄。
 本当は、はっきりとしていてよく通って、楽譜の読めない子供達が耳で聞いて覚え易いような彼の歌。
 けれど、たどたどしくて音のずれた、自信なさげな彼の子守唄。
 でも、どうして。
 なんでそんな子守唄を、俺に?
 そう考えて、
 「・・・あ!」
 唐突に思い出した。
 俺だ。
 俺が、言ったのだ。
 (眠れないんです)
 彼に。
 (眠らせて・・・下さい)
 そう言って口説いたのだ。俺は。最初の夜に。
 うわ、うわ・・・っ。
 はっきり言ってテキトーだった。その場の思いつきだった。
 だのに彼は間に受けて。
 俺に子守唄を歌ってくれていたのだ。
 「眠れない」俺の為に。
 その後は、俺がねだるから。面白がってせがむから。
 だから彼はうろ覚えの、悲しい思い出と背中合わせの子守唄を歌ってくれていたのだ。
 あの調子っ外れの優しい歌を。
 俺は頭を抱えた。
 「あーあ・・・」

 

 

 翌日即行で彼に会いに行った。
 理由は言わずただすみませんでしたという俺を呆れたように彼は見ていたが、苦笑すると、もう怒っていませんから、と言ってくれた。どうやらいつもの俺の気まぐれだと思ってくれたらしい。日頃の信用のなさが役に立った。

 

 

 そして俺は今夜もまた歌をねだろうと思う。
 行為の後で、優しい彼の歌を。
 彼らしい、泣きたくなるほど彼らしい調子っ外れの子守唄を。
 そして可愛いと笑って、優しいキスをあげようと思う。
 それくらいなら俺にも出来るから。

 

 完