一晩中あの手に弄られるのは気持ちイイだろうなと思う。
俺の知っている他の誰とも違う手。
子供の頭を撫でたり、肩を叩いてやる為のあの手で、口には出来ないところを触られるのはどんな気持ちがするだろう。
あの人はその時も優しいだろうか。
それとも思いの外乱暴だったりするのだろうか。
どっちでもいいな。
どっちでも彼らしい気がするから。
ああ、と低くうめいて背を丸め、息を吐く。
アスマはそんな俺を厭そうに見て舌打ちした。
「俺を道具にするなってえの」
あははと俺は笑った。
アスマは見た印象よりずっとマメな男で、布団も敷布もキレイで気持ちいい。奴から離れてそこにすりつくように横になった。思い切り伸びをすると、ハシタナイ俺の姿にアスマはまた舌打ちした。
「ちゃんと本命がいるならそっち行けよ」
「・・・どうしてそういうコト言うかな。意地が悪いよ、オマエ」
鼻を鳴らしてアスマは言う。本当のことじゃねえかと。
「俺オマエ好きだけどなあ」
「らしくねえこと抜かすな」
「本当だよ、オマエ優しいから」
一瞬奇妙な顔付きになったアスマは、そのまま顔を顰めるようにすると、吐き出すように言った。
「・・・イルカは優しくねえぞ」
もっともっと遅くに生まれたらよかったかなあ。
そうしたら、俺はまだ子供で。
センセイ大好きなんて言って、頭を撫でててもらえたかな。
あの笑顔でえらいぞなんて誉められて?
ああ。
ぞくぞくする。
俺もラーメン食べに連れて行ってもらえたかな。
クナイの持ち方を教わって、手裏剣の投げ方を習って。
一緒になって忍歌を歌ったり、薬草採取に行って。
ああ、センセイ。
俺を誉めてよ。
俺を叱ってよ。
そして無条件に愛してよ。
書庫で出会った三代目は大儀そうに俺を見て言った。
「あれは」
紙と木ばかりが積んである書庫の中で三代目の加えたパイプに火は入っておらず、高い窓から差し込む光が奇妙に硬質な印象を与えていた。
「お前にはむいとらんよ」
「・・・・・・」
「あれはあれとは違う」
「カカシ先生」
イルカ先生はいつも笑顔で俺を呼んでくれる。
俺はそれがとても嬉しい。
「遅くなってしまいましたね。よろしかったらどっかで食ってきますか?それとも」
ほんの少し、躊躇うように。
「俺ン家、いらっしゃいますか?・・・近いんですよ」
知ってますよ。
腹の中でそう答える俺に、彼は狭くてキタナイから恥ずかしいんですけどと少し困ったようにまた笑った。
ああ、可愛いな。
この人の笑顔が大好きだ。
彼の家なら間取りも知ってる。
入ったことがあるから。
彼がアカデミーで子供相手に働いている頃、俺は彼の匂いのする彼の部屋に入った。特に何処を覗くでもなく、俺は彼の空間でシアワセな気分で呼吸をしていた。彼の家、彼の部屋。
ナルトは何度も来ているんだろうな。そう思うと堪らなく羨ましかった。
彼の寝台の横にころりと横になった。
天井が高くなる。
パイプが剥き出しの天井と古い壁。けれど彼はここで暮らしていて。
そう考えるだけで奇妙にシアワセだった。
小さな箪笥の中には彼の着る物が入っていて、台所の作り付けの戸棚には彼の食器が入っているのだ。
ああ。
床に頬を摺り寄せていたら、寝台の下に箱が突っ込んであるのが見えた。
えっちな本とか入っているのかな。
好奇心にかられ、引っ張ってみると思いの外重く、がちゃりと硝子のぶつかる音がした。
「・・・なんだ?」
半畳ほどの大きさの箱にぎっしりと、薬ビン。
「・・・え?」
なんだろう、アカデミ−で使うのかな。
ラベルを見れば。
劇薬、麻酔薬、幻覚剤、そして毒薬。
最近はアカデミーでもこんな危険な薬の取り扱いをするのだろうか。
試しに開けてみた一ビンからは強烈な刺激臭がした。容れ物だけを使っているのではないようだった。
俺はその中からひとつだけ、一番小さなビンを抜き取るとこっそり持って帰った。
イルカ先生の秘密を知ったようで酷く嬉しかった。
いつからだろうか、彼のことを考えると嬉しくなった。
何か、亡くしたものが戻ってきたような。
ああ、俺は彼のことが好きなんだな。
そう考えると息が上がった。
胸が小さく固くなって、あらぬところが熱くなった。
優しくして欲しいな。
声をかけてもらって、笑ってもらって。
そうしたら少しくらい酷くしても平気。
俺も彼に優しくしたいし。
他の誰にも言えないようなことが出来たらいいのに。
アスマは俺が「先生」を好きなだけではないかと勘繰っている。だから俺は笑ってやった。
「そんな筈ないでしょ」
彼だから好きになったのだ。別に教職の男が好きなワケじゃない。それなのに、アスマは顔を顰める。
「・・・お前は自分の頭ン中で恋してるだけじゃねえのか」
ヘンなことを言うと、俺はまた笑う。
クマみたいな強面で恋、だって。
アスマは外見に反して酷く優しい男だった。馬鹿な俺の今までを知っているからいろいろ心配もしてくれる。
三代目もそうだ。
「あれはあれとは違う」
最初のあれは彼。
そして次のあれはあの人。
俺を初めてまともに扱ってくれた人。俺が初めて好きになった人。
当たり前だと思う。彼はあの人とは違う。だから分っていますと答えたのに、三代目は力なく首を振った。
「お前はわかっとらん。・・・あれは、お前にはむいておらんのだ」
失礼な爺さまだ。
作り笑いの裏で舌を出した。
どうぞと通してもらった小さな部屋は俺が前に忍び込んだ時とあまり変わっていなかった。
ただ部屋の隅になんだか大きな箱が置いてあって、その周りにやたらと縄だの紐だのがとっ散らかっていた。引越しでもするのだろうか。
「お茶を淹れますね」
「お構いなく」
「お気になさらず・・・粗茶ってやつです」
俺の好きな笑顔でイルカ先生は笑う。
そのまま台所に向かう彼の背中を眺めながら、俺は今日泊まっていけないかなと考えていた。一晩一緒にいたいなと。
不図、目の端に写ったものがあった。
奇妙に気を惹かれ、そちらを見ると、小さな鉢植えだった。
規那、だ。
枯れかかっていた。
不意に。
俺は部屋に置いてあるウッキー君のことを思い出した。
なんだ?
何か、ひどく唐突に俺の思考に割り込んだものがあったけれど。
台所からイルカ先生のやさしい声が聞こえてきた。
「そういえば、カカシ先生食べられないものってありますか?」
「そうですねえ」
答えながら俺は、今日やっぱりどうにかして泊まっていけないかな、とまた考え始めた。
完
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