カカシ先生はきれいな指をしている、とイルカは思った。
 厳密に言えば、きれいな造形の指というわけではなく、きれいな動きをする指、だった。
 カカシは成年男性で、しかも上忍だ。戦闘経験も両の手足の指の数より遥かに多い。そんな彼がきれいな指をしている筈もなく、よく見れば小さな傷や火傷のあともあった。
 けれどイルカはきれいだと思った。きれいな動きをすると。
 カカシは顔の半分以上を布で覆っている。更に半面を額当てで塞ぐように隠している。彼の表情はわずかに右の目と眉の動きくらいでしか分からない。
 それを補うように、カカシは両の手をよく動かして喋った。道に不案内な人間に説明する時のように。
 そして、そんなカカシの手、殊に指の動きをきれいだとイルカは思った。
 自分は勿論他の誰も、あんなきれいな指の動きはしない、とイルカは思った。
 「でも、イルカ先生と話する時だけだってばよ、カカシ先生が手動かすの」
 そう言ったのはナルトだ。一楽でラーメンを啜りながら、カカシ先生は手の動きがきれいだなと言ったイルカの言葉に首を捻って、言った。
 「カカシ先生、俺達と話す時は腕組んでるコト多いし、他の大人と話す時はズボンから手も出さないってばよ」
 火影のジイちゃんに態度悪いって怒られてたってばよ、と笑う。
 「だからオレ、カカシ先生の手の動きがきれいなんて気がつかなかったなあ」
 今度よく見てみようと言うナルトに慌てて釘を刺す。
 「こら、変なこと先生に言うなよ?」
 「変なこと?」
 「・・・う・・。い、いいから余計なこと言うなよ。だいたいお前はお喋りがすぎるから・・・」
 照れを急いでお説教にすりかえる。釈然としない表情のナルトにすまんと心の中で手を合わせた。
 そして。
 (そうか、俺と話す時だけか・・・)
 なんとなく、嬉しかった。あのきれいな指を、誰彼構わず見せているわけではないのか。もしかしたら彼のきれいな指に気付いているのは自分だけかもしれない。
 そう、指。
 先刻、ナルトには手、と言ったが、実際のところイルカが心惹かれているのは指の方だった。だのに、何故か手と言ってしまった。
 なにやら妙な疚しさがあって指とは言えなかった。
 それがまた、奇妙な罪悪感をイルカに感じさせていた。

 

 

 「イルカ先生」
 へらへらっと笑顔を浮かべてカカシが近付いてきた。夕暮れ、アカデミーからの帰り道だった。
 「あ、カカシ先生、どうも」
 カカシは片手をひらひらと振りながら、まだ日が落ちても暑いですねえ、と言った。今年は梅雨が短かった。長い夏が早めにやって来てしまったらしい。
 カカシはそのままイルカと並んでゆっくりと歩き出す。任務帰りらしい彼の体から微かに汗の匂いがした。第七班は今日も屋外作業だったようだ。
 「俺、暑いのダメなんですよね」
 「この間は寒いのが苦手っておっしゃってたじゃないですか」
 「両方。俺、普通じゃないのってダメなんですよねー」
 のんびりと言う。ひらひら、とせわしなく右手が動いている。本人はあおいでいるつもりらしかった。
 「・・・どうしたんですか、イルカ先生」
 「・・・」
 カカシが不思議そうに声をかけると、イルカは少し躊躇うような素振りを見せたが、すぐに低く、
 「カカシ先生・・・手」
 と言った。
 「え?」
 「左手、どうしたんです?」
 「どうって・・・」
 シラを切られるより先に掴んだ。ぐい、と衣嚢から引っ張り出させると、たいして強く掴んだわけでもないのに、カカシは小さくうめいた。
 「・・・っつ・・」
 そこにはいつもの見慣れた手甲はなく、ただぐるぐると包帯に巻かれた固まりのような左手があった。イルカの好きな彼の指は爪の先がほんの少し見えているだけだった。
 「どうしたんですか、これ?!」
 咄嗟に、自分でも驚くような大声が出て、イルカは慌てて彼の左手を離した。
 「す・・すみません、でも・・・」
 「たいしたコトないんですよ」
 右手で左手を包むようにしてカカシは笑った。
 「ちょっとね、手違いがあって」
 「手違い?」
 「そうです。でもね、仕方ないですよ、俺指導員だし」
 そう言ってまた笑った。その言葉の調子から、今日の任務で何かトラブルでもあったらしいとイルカは知った。しかも下忍の子供達のうちの誰かが原因で。カカシはその泥をかぶってやったらしかった。
 「・・・・・・・」
 「怒っちゃいました?」
 黙りこんだイルカにカカシがからかうように言った。長身の彼が背中を丸めて、下から覗き込むようにする。最近、二人きりになるとカカシはよくこういう仕種をするようになった。その度にイルカは対処に困ってしまう。馴れ馴れしい、というのとも違うそれは、なにやらイルカをひどく落ち着かなくさせた。
 「イルカ先生?」
 「・・・怒ってませんよ、だいたい何で俺が怒るんですか?」
 「だって」
 拍子をとるように軽く首を左右に振ると、カカシは、あ、もしかして、と言った。
 「心配してくれました?」
 あははーと笑って言う。右の人差し指と中指で自分の頬をさすりながら。
 「・・・カカシ先生」
 「はい?」
 「心配しましたよ」
 「え?」
 「しましたよ、しちゃいけないんですか。何ですか、何がおかしいんですか!」
 カカシの目が丸くなる。
 「俺が先生の心配しちゃおかしいんですか!」
 頬が熱い、とイルカは思った。また自分は赤面しているのだろう。カカシが相手だといつもそうだ。死ぬほど恥ずかしかったり、どうしようもなく腹を立てたり。みっともなく顔を赤くしてばかりだ。
 「・・・すいません」
 少し間があってからカカシが小さな声で、ぽつりと言った。辺りはそろそろ薄闇がかかってきている。風が、彼の細い髪を揺らしていた。
 「お気を、悪くなさらないで下さい。・・・俺、失礼なこと言っちゃいましたね」
 「あ、いえ、そんな・・・俺の方こそ」
 「嬉しかったもんで」
 え?
 ぼそっと洩らしたカカシの一言にイルカは驚いた。
 嬉しい?
 「嬉しかったもんで、つい」
 まじまじと見つめるイルカの視線に負けるように、早口でもう一度繰り返すとカカシは頭をかいた。
 「嬉しかったんですか?」
 「はあ」
 ・・・思わず確認してしまった。
 「イルカ先生が俺の怪我の心配してくれたから」
 昼間ならよかったのに。唐突にイルカは思った。昼間なら見えたのに。今のカカシ先生の表情が。
 だが。
 「でもホント、たいしたことないんですよ」
 急に明るい調子でそう言うと、カカシは包帯だらけの左手をイルカの前に突き出す。
 「サクラが手当してくれたから、こんな大袈裟になっちゃいましたけど、もう痛くもないですし」
 「・・・ウソばっかり」
 突き出す仕種で上手いこと距離をとられたようで。
 「あ、信用ないですね」
 「そんなもの」
 ウソツキのカカシ先生になんてあるわけないです、と言ってイルカは背を向けた。そのまますたすた歩き出す。
 「イルカ先生?」
 「信用して欲しいんだったら」
 振り向かずに、一息に言った。
 「俺のウチに来て下さい」
 「え?」
 さっきは邪魔だと思った薄闇に今度は感謝した。
 またきっと俺の顔は赤くなっている。きっと。
 「手当をさせて下さい」
 「いや、そんな、先生にわざわざ・・・」
 「医者行く気ないんでしょ?」
 う、と低く唸る声が図星だと告げる。
 「見せて下さいよ。そしたら信用しますから」
 「・・・それ、信用って言わないと思います・・・」
 思いっきり、疑ってるじゃありませんかとカカシがぼやく。けれどイルカは足を止めなかった。こっそりと笑いをかみ殺しながら、
 「で、どうなさいます?」
 「・・・お邪魔します」
 自棄のように言うと、カカシは足を速めた。なんなくイルカと並ぶと、
 「参ったなあ」
 イルカ先生には隠し事ができないなあと拗ねたように言う。
 「血の匂いだって落としてきたし、バレないと思ってたのに」
 「伊達に教師はやってませんから」
 「・・・それって俺がアカデミーの子供レベルってことですか?」
 「言い訳がね」
 そう言ってイルカは笑った。
 分からないと思っているのだろうか、本当に。
 彼をこんなにも熱心に見ている自分に。
 指がきれいな人だと思った。
 ウソの上手い人だと思った。
 子供のように笑いながら、それでもこの人は上手にウソをつくのだろう。
 その気になれば、実に簡単にイルカなど騙せるだろう。それこそ一生かけても気付かないように完璧に。
 けれども、その彼が時々見せる隙が好きだった。
 ウソがばれるだらしなさが嬉しかった。
 「カカシ先生」
 はい?と小首を傾げるように目だけで返事する人に笑いながら言う。
 「店に寄ってっていいですか?ウチ、なんにもないんで」
 指が、見たいと思った。
 カカシ先生のよく動くきれいな指が。
 ウソつきなこの人が自分にだけ見せてくれるあの指が。
 今すぐ、見たいと思った。