お母さんに頼まれて、お遣いに出た帰りだったわ。
 その人はお母さんの親友だった人で、隣の里にお嫁に行っていたの。赤ちゃんが生まれたって知らせがあって、お祝いを持っていくように頼まれた。
 せっかくのお休みなのにって私は文句を言ったけれど、アカデミーを卒業して成長したのよって自慢したばかりだったのが拙かった。脚が速くなったんでしょとお母さんは言って、私にお祝い品と住所のメモを押し付けたの。斡旋所通せばちゃんと報酬も出るお遣いを、無料で、しかもせっかくのお休みを潰して私は出かけなきゃならなくなった。
 おまけにその日はお天気があまりよくなかった。隣の里って言っても、山を越えるし、結構時間はかかる。暑くなかったのは日焼けもしないし喉も渇かないしで助かったけれど、帰り道で雨に降られちゃった。
 小母さんはとても喜んでお茶やお菓子を出してくれて、お母さんの最近の様子を聞きたがって、それにお付き合いして帰りが遅くなってしまったから。
 それに、赤ちゃん。
 生まれて間もない赤ちゃんは小さくてふにゃふにゃしてて可愛くて。あやしてあげるのが楽しくて、ついつい長居しちゃった。
 ああ、ついてない、そう思いながらばしゃばしゃ降る雨の中を一生懸命走った。
 そしたら、直ぐ先に小さな小屋が見えた。そこは小さな茶店で、去年まで若い後家さんだっていう女の人が一人できりもりしてた。でも、中通りの古書屋さんとこの春に再婚してお店はたたんだって聞いてる。だから店の中には入れないのは分っていたけれど、軒があるだけマシと思って飛び込んだの。
 そうしたら。
 殆ど同時に反対側から、その人が飛び込んできたの。

 

 

 「・・・なんだ、カカシんとこの嬢ちゃんじゃねえか。奇遇だな」
 「・・・・・・こ、こんにちは・・・」
 おう、と低く唸るように返事をすると、その人はごそごそと胴衣の衣嚢を探り始めた。
 ・・・きっと、煙草を探しているんだわ。
 そう思った。
 だってこの人はいつも煙草を口に咥えていたから。
 猿飛アスマ上忍。
 いの達の担当指導員の先生。
 私はこの人が苦手だった。
 だって、なんか。
 アスマ先生はやっぱり煙草を引きずり出すと口に咥えた。それから忍袴を探って燐寸を取り出したんだけど、不機嫌そうな顔してちっと舌打ちをしたの。胴衣と違って水を通す忍袴の中に入っていた燐寸が濡れて使い物にならないんだということは私にも分った。でも。
 ぼそぼそと低い声で呪を唱えると、アスマ先生の大きな手がぱっぱっと素早く幾つかの印を結んで。小さな炎がぱっと散って煙草に火が点いた。
 ・・・私は正直言って物凄く驚いた。だって、あんな小さな火をコントロール出来るなんて。
 大きな火を作るより、小さな火を作る方が使用するチャクラは確かに少なくてすむけれど、比較にならないくらいコントロールが必要になるわ。操る火が小さければ小さいほど。それをあんな瞬間に、しかも顔の直ぐ側で、なんて。アスマ先生はその外見から受ける印象よりずっと繊細にチャクラをコントロール出来るようだった。
 ・・・そう、外見。
 だから私はこの人が苦手、なんだと思う。
 だって、この人はなんだか、すごく・・・男の人っていう感じが強くて。強すぎて。
 私はそういうタイプの男の人って、苦手だ。私があんまり大人の男の人を知らないってこともあるんだろうけど・・・なんていうか、怖い。
 私はやっぱりサスケ君みたいなシャイな感じの男の子の方が好き。カッコいいし。
 そういうイミでは、カカシ先生が担当になったのって、私的にはアタリだったのかも。カカシ先生はだらなしないしぼーっとしてるしいい加減なところもあるけれど、あんまり、「男の人」って感じはしないもの。当たりは柔らかいし、こっちの話もちゃんと聞いてくれる。
 初めてアスマ先生を見て、この人がいの達の担当って聞いた時、本気でそう思った。
 その点はイルカ先生に感謝しなくちゃいけないのかな。そう思った時、
 「なあ」
 不意にアスマ先生に話し掛けられて、びくっとしてしまった。肩が派手に揺れて顔から火が出るかと思うほど恥ずかしかった。
 「な、なんですか?」
 「寒かねえか?」
 ずぶ濡れの私を見ながらこんこんと鍵のかかった木戸を叩いてアスマ先生は言ったの。
 「開けるか?ここ。中に入った方がよかねえか?」
 面倒くさそうな話し方だったけど、その目はほんの少し気遣わし気で、アスマ先生が心配して言ってくれてるんだろうとは分った。
 でも。
 「い、いいえ、平気です。ダイジョウブです」
 私は慌てて首を振った。
 まさか下忍指導員のアスマ先生がよその班の下忍の私にヘンな事するとは思えなかったけど、二人きりで薄暗い小屋の中に入る気にはとてもなれなかった。
 だって、やっぱりちょっと怖い。
 それに、誰かに見られたら厭だ。そしてそれがサスケ君に知られたりしたら・・・!困る。絶対、困る。・・・そりゃ、サスケ君は私が誰と何処にいようが関係ないかもしれないけどさ・・・。でも、私的には困るもの。困るんだもの。
 そうか、とアスマ先生は言うと、吸い終った煙草をぽいと雨の中に放り捨てて新しいのを取り出した。気を悪くはしなかったみたい。ちょっとホッとする。
 でもなんとなく気まずいのは変わらなくて。まさかこの雨の中を出て行くわけにもいかないし。なにか、なにか話出来ないかな。話題ないかな、カカシ先生のことでも聞いてみようかしら。そう私が必死になって考えていた時だった。
 「なあ、嬢ちゃん」
 からかわれているのは知ってたわ。仮にも火影の下忍の(そりゃあ確かになりたてのほやほやだけどさ)私を「嬢ちゃん」なんて呼ぶのは。以前もカカシ先生に、
 「お前んとこの嬢ちゃんは真綿でくるんで衣嚢にでも突っ込んどいてやんな」
って言ったのを、聞いたことがあるもの。そりゃ、私は体力ないけど。経験だって少ないけど。失礼よ、そういう言い方って。
 そんな風に思っていたのに、アスマ先生が言った言葉は。
 「ちっと聞いてもいいか?」
 「な、なんですか?」
 「イルカ先生ってのぁ、どういう人だい?」
 え?
 よっぽど私は変な顔をしちゃったんだと思う。アスマ先生は困ったように顎を掻きながら言ったから。
 「単なる好奇心だよ。十班の指導で顔突き合わすことも増えるしな。・・・情報収集ってとこか」
 そう言ってにやりと笑った。
 なんか、肉食獣を連想するようなそれに私は少しだけどきどきした。やっぱり、ちょっと怖い。
 「・・・いのに聞いてないんですか?」
 「いの?ああ、ありゃダメだ」
 ふうと上に煙を吐きながらアスマ先生は言った。髭だらけの顎が上がって喉仏が少しだけ見えた。
 「ありゃなんだかイルカ先生に偏見持ってんな」
 「・・・・・・」
 「悪気はねえんだろうが、俺は公平な意見ってのが聞きたいんだよ」
 いのが、イルカ先生に。確かにそうかも。
 アカデミーにいた頃だった。
 廊下でいのがイルカ先生にぶつかった。イルカ先生は授業で使った絵図面をたくさん持っていて、いのは急いでいたから結構派手にぶつかって、二人の持っていたものがあちこちに散らばった。
 そして。
 「おおい、いの、忘れてるぞ!」
 自分の荷物を掴んで、先生ごめんねーと走りだしたいのを大きな声でイルカ先生が呼んだの。その頭の上に振り回したのは。
 小さな巾着だった。綺麗な紺に小さな白い兎がたくさん踊っている可愛いやつ。
 それをイルカ先生は頭の上で振り回したの。
 いのは真っ赤になって怒った。
 ちょうど昼休みが始まったばかりで、廊下にはたくさんの生徒や先生がいた。サスケ君も、いた。
 イルカ先生が悪いんじゃないと私は思う。
 でも、いのの気持ちもわかる。
 イルカ先生は男の人で、姉妹もいないから分らなかったんだと思う。だけどアカデミーの先生なんだから、もうちょっと気を使ってくれなきゃ。
 小さな巾着。
 イルカ先生が皆の前で、サスケ君の前で、頭の上で振り回したその可愛いウサギ柄の中には。
 生理用品が入ってたんだよ、先生。
 知らなかったんだろうけどさ、でも。
 ちょっと酷いよ。
 いのは背が高くてすらりとしてて、大人っぽい。(前にカカシ先生が「ませた感じの子だね」ってアスマ先生に言った。私はこの時のカカシ先生は嫌いだ)
 クラスで一番最初に生理がきたのも多分、いの。
 いのは自分が大人っぽく、というか、女っぽく見られるのを実は嫌がっていたんじゃないかと私は思う。そりゃ、私に対しては色気ゼロなんて意地悪言って大人ぶっていたけれど。
 でも酔っ払った中忍の人達に商店街でからまれたりして厭なことも多いと思うし・・・いのはプライドが高くて、他人に弱みを見せない強気な子だから、私がこんな風に思ってるなんて知ったらまた怒るかもしれないけれど。
 イルカ先生は知らなくても、年長クラスの男の子は半分近く知ってた。その袋の意味。
 いのはあの後男子からひどくからかわれて、イルカ先生は卒業まで憤慨したくの一クラスの総スカンを食った。イルカ先生は戸惑ったり怒ったり、そして多分、悲しんでいたりしていたけれど、結局最後まで理由は判らなかったんだろうな。
 「で?」
 静かに聞かれて、私は慌てた。ぼうっとしちゃってた私のことをアスマ先生は待っていてくれたみたいで。ふーっと煙を吐きながら、雨の中を見透かすようにして、質問を繰り返した。
 「イルカ先生ってのぁ、どういう人だい?嬢ちゃんから見てよ」
 「・・・公平なひと」
 そして。
 「鈍感なひと」
 忘れてるぞって振り回した兎の巾着。
 「とっても公平で、とっても鈍感なひと・・・私は・・・そう思います」
 アスマ先生はしばらく雨を見つめたまま黙っていたけれど、短くへえ、と言った。
 「成る程ね。面白いこと言うな、嬢ちゃん」
 ありがとうよ、といってアスマ先生がくれたものは・・・紙にくるまれた甘栗だった。
 「ちっと濡れたが、傷んでねえから食いな」
 「・・・ありがとうございます」
 アスマ先生と小粒な甘栗の組み合わせはちぐはぐで、なんか可笑しかった。可愛い、なんて思っちゃった。これをくれたということは、私の答えは及第だったのかしら。そっと見てみるとアスマ先生は何かを考えるように、やっぱり雨を見ていた。私は、少しだけ勇気を奮って声をかけてみた。
 「アスマ先生」
 「ん?」
 「お返しに、私もひとつ聞いていいですか?」
 「何だ?」
 振り向いたアスマ先生の目は、それまで私は気がつかなかったんだけど、とても綺麗な朱い色だった。秋の夕焼けの空の色をもっと薄くしたような。同じ赤でも、カカシ先生の写輪眼とは違う色。
 「カカシ先生のこと、どうして女の人みたいに言うんですか?」
 「はあ?」
 アスマ先生は大きな声を出して、私は少し赤くなった。・・・だって不思議だったんだもの。ずっと。
 「先生、カカシ先生のことばらがきとかあばずれって言うでしょ」
 時にはもっとひどい言葉も。もっとひどい意味の言葉も。
 「それって、女の人に対する言葉でしょ?普通男の人には・・・使わないですよね?」
 アスマ先生は煙草を指に挟んだまま、暫く口を開けていたけれど、ああ、と低く唸ってまた私を見た。
 「・・・ああ、成る程」
 最初、言葉の意味を知らないで使っているのかもしれないと思った。でもそのうちにそうじゃないってことが分ってきた。だってそういう時のアスマ先生の表情は。
 そういう与太ぬかすからてめえはあばずれかって言うんだよ。
 「嬢ちゃん、名前なんていった?」
 「サクラです」
 「サクラ、言葉の意味知ってんだな」
 私はまた赤くなってしまって、アスマ先生はげらげらと大きな声で笑った。
 「剣呑剣呑。これからは口の聞き方に気をつけるよ」
 悪かったな、とアスマ先生は言った。面白がっているような表情だった。
 「先生、質問に答えてません」
 「ああ?・・・そうか」
 簡単なこった、と言ってアスマ先生はまた大きな声で笑ったわ。
 「野郎はオンナの腐ったような根性してやがるからさ」
 私が吃驚して目をまん丸くしているとアスマ先生は、
 「指導受けてるお前等にゃ気の毒な話だけどな。・・・っと、もしかして」
 急に眉をひそめて、言った。
 「これって性差別になんのか?女性蔑視とかってよ?」
 「・・・・・・さあ・・・」
 「じゃ、内緒にしとけ。それ賄賂な」
 煙草で甘栗を指して笑うアスマ先生の顔は、なんだか子供みたいだった。髭だらけの、大人の男の人の顔なのに。不思議だなって、思った。怖い人だと思っていたのに、子供に見える、なんて。
 「あらら」
 頓狂な声がして、振り向くと。
 雨の中、傘を差したカカシ先生が立っていた。
 「何やってんの」
 「見てわかんねえか」
 アスマ先生がまた新しい煙草に火を点けながら面倒くさそうに返事をした。
 「雨宿りしてんだよ」
 「なんでウチの紅一点とおマエが一緒なんだよ」
 「知るか、偶然だ」
 てめえこそ、この上天気になにふらついてんだよ、とアスマ先生が聞くと、今度はカカシ先生が厭そうに答えた。
 「お遣い。三代目につかまっちゃってさ。橋の向うの板金屋まで。私用丸出し。ホントに人使いの荒い爺様だよ」
 溜息を吐くカカシ先生に合わせて黒い大きな傘が揺れる。
 「サクラ、おいで。送ってあげるから。用を足すまで付き合ってもらうけど。そんな人通りのないとこにクマと二人っきりでいちゃダメだよ〜」
 「何言ってやがる。てめえはさっさと用足しにいきな。嬢ちゃんは俺と親交深めてんだからよ」
 なあ、と言われて私はあせっちゃった。え?ええ?
 「あ、あの」
 「ダメだって、サクラ。そんなのとひとつ屋根の下にいたらニンシンしちゃうよ?」
 大真面目な顔で近寄ってくると、傘をさしたまま、カカシ先生は顔を近づけて声を潜めて私に言ったの。
 「ここだけの話、俺だってもうこのクマの所為で三回も病院言ってんだから。サクラは不幸になっちゃダメだ。センセイの言うこと聞きなサイ」
 「おきゃあがれ、このうんつくが」
 アスマ先生が思い切りカカシ先生の腰を蹴飛ばした。
 「何すんだ、クマ。骨盤ずれたら責任とらすぞ」
 「黙れ」
 厭そうにアスマ先生は煙草をふかして、
 「人聞きの悪いこと子供の前でぬかすな。イルカ先生に言いつけっぞ」
 「わ、姑息!止めろよな、ただでさえ俺の指導方針があの先生にはお気に召さないんだからさあ」
 「どうせ毎回遅刻かましてんだろうが、とんちきめ。指導方針が聞いて呆れら」
 「生徒に勝ち馬の予想たてさせるような指導員が何言ってんの」
 「立派な洞察と先読みの鍛錬じゃねえか。実益つきの」
 「なら、なんでおマエがその馬券買うんだよ」
 「餓鬼は馬券買えねえだろうが」
 「どうせ当たったって独り占めしてんでしょ、キタねえよなあ」
 「五月蝿え、俺の金だ」
 「あ、やっぱり独り占めだよ、この悪クマ!」
 喧喧諤諤言い合い始めた二人の先生の掛け合いは漫才のようで私は笑いそうになったけれど。
 その時、気が付いたの。
 カカシ先生の握っている傘の柄に付いている古い傷。
 これ。