七夕の夜は晴れそうだった。
アカデミーに届けられた笹にはもうすっかり子供達の手による飾り付けがされている。眩しげな初夏の日差しの中で五色の短冊や紙細工が鮮やかに揺れていた。忍器の扱いが上達しますように、早く上忍になれますように、なんて忍者アカデミーならではのものから犬を飼えますようになんて子供らしいもの、お婆ちゃんの病気がよくなりますようにとちょっとほろっと来るものまで様々の願いごとが子供の手で書かれた短冊が風にさわさわと流れているのを、俺は職員室から目を細めて眺めていた。
そういや七夕の願い事っていうのは、誰が叶えてくれるもんなんだろう?お星様にお願い、と聞いているから星が叶えてくれることになっているのだろうか。
ふう、と俺はまた溜息を吐いた。習い性になってしまいそうで嫌だな。気をつけねえと。
とにかく。
俺の願い事は星でも月でも天神さんでも叶えてもらえそうにないことだったから、自分で頑張るしかないと思った。
来年の初詣、今年こそ、なんて祈るのは真っ平御免だ。
あまりに情けない考えに自分でげんなりとした。
六日の夕方、いのの家に笹を貰いに行った。いのはいなくて、彼女の親父さんが聞いてますよと言って立派な竹を持ってきてくれた。
「こりゃ・・・参ったな」
窓にでも差しておけるような小さなものを考えていた俺は面喰った。両手で支えたが結構重い。もしかして結構な値段なのじゃないか、そう思って慌てて御代をと言えば、親父さんは笑って手を振ってくれた。
「そんな、先生」
いのの親父さんは里でも名の知れた忍者だった。彼にしか使いこなせぬ山中家相伝の心身繰心術と鮮やかな体術の組み合わせを得意とし、任務達成率も高く里の信も篤かったと聞いている。特にシカマル、チョウジの親父さん達とのスリーマンセルでの勇躍ぶりは今でも語り草だ。
だのに、今ではそんな様子はおくびにも出さず、花屋の気のいい主人然としている。ちょっと渋い二枚目なので買い物に来る奥さん方の間で評判になっているそうだ。
「いのに怒られちまいますよ。アレがアカデミーじゃさんざお世話になったんだし、先生ウチのお得意さんなんだから、遠慮しないで持っていってやって下さいよ」
花の好きだった母ちゃんに供える為に、花を買うことは多かった。いのの言う通りアカデミーと家の間にあるこの店は勝手がよかったから、お得意さんと言われればそうかもしれない。
「それじゃ・・・すみません、なんか」
「気になさらんで下さいよ、先生」
今日は持ち帰りもなかったから、竹を担いで帰るのに不便はなかった。だが持って帰った後どうしよう、どこに置きゃいいんだか、と考えていると戻ったわようーという元気な声がしていのが飛び込んできた。
「ああ、先生―、やっと引き取りに来てくれたー」
ジャマだったのよねーと身も蓋もないことを軽い調子で言ういのの後ろにはシカマルがいて、面倒臭そうに頭を揺するような挨拶をして来た。更にその横ではチョウジがスナック菓子を頬張ったまま、あれえーイルカ先生だあなんて緩い調子で言っている。あまりな教え子達の態度に、俺は一瞬本気でアカデミーの礼法の授業をもっと徹底させた方がいいのではと考えてしまった。
そんな俺にいのは楽しそうに言ってきた。
「イルカ先生―、竹の花言葉って知ってる?」
「竹?知らねえな。なんて言うんだ?」
うふふ、といのは得意げに笑った。教師の俺が知らないことを知っているのが嬉しかったらしい。
「それじゃあー、宿題ってことでー」
「あ?」
「先生、考えておいてー。今度会った時教えたげますからー」
いのはそう言ってまたうふふ、と笑った。やっぱりちょっと年にそぐわないような色っぽさだった。
竹を肩に乗せて歩き出して直ぐ、考えていたよりも面倒なことが分かった。完全に担いでしまうと、後方へ長く突き出してしまう。そのまま歩き出せば上下に撓る。仕方ないので立たせるようにして歩いたが、あちこちの建物から下がっている洗濯物だの看板だの電線に引っ掛からないようにするのがまた一苦労だった。
「・・・あ?」
ふうふう言いながらようやく商店街を抜けた辺りで俺はその人を見つけた。
カカシ先生。
彼は錠前屋のすぐ横の路地に半身突っ込むようにしてこちらに背を向け話をしていた。後姿でも彼はすぐ分かる。丸めた背中の上の特徴的な髪がそれと知れるのだ。
彼が話をしていたのはアスマ先生だった。煙草を親指と人差し指で挟んだまま咥えて、機嫌よさげにしているのがここからでも見えた。
仲が、いいんだな。
ふとそんなことを考え、俺は一人で赤くなった。
・・・馬鹿なことを。
だが。
次に目にしたものに俺は固まってしまった。
なにか冗談口を叩いたらしいアスマ先生が大声で笑うと、その長い手を伸ばしカカシ先生の腰をぽんぽんと叩いたのだ。しかもそのまま腰に手を残して。
カカシ先生はそれを特段嫌がる素振りも見せず、笑っている。
・・・分かっては、いたのだ。
カカシ先生は他人にあまり興味を示さない。必要がなければ顔も名前も覚えない。
だが。
一度気を許した人間にはひどく気安い。うんざりした調子で暑苦しいと言いながら、ガイ先生に組まれた肩を振りほどかなかったり、文字通り紅先生の尻に敷かれているのを見たこともある。七班の子供達にしたって身分差を度外視した付き合い方を許しているのを知っている。
だから、どうってことない筈だった。
アスマ先生の手を腰に這わせたまま平気でカカシ先生が話をしているのを見ても。
分かっては、いたのだ。
・・・頭では。
カカシ先生に他意はないと知っていて、だが、それでも。
俺は急に自分が惨めになって何も言わずその場を離れようとした。いちいちそんな些細なことにまで気を揉む自分の狭量さが嫌だった。けれど、どうしても我慢できなかったのだ。
「あれ、イルカ先生?」
だが、不意にカカシ先生の声が聞こえ、次の瞬間に俺の左側、竹を抱えていない方にカカシ先生がふいと現れた。・・・相変わらず見事な足捌きだ。
「こんばんはー、イルカ先生。今お帰りですか?」
「・・・・・・カカシ先生」
「はい」
イヤですよ〜、いらしたんなら声かけて下さればいいのに〜。
そいう言ってにこにこ笑うカカシ先生にはやましいようなところは何もなく、それがまた俺をいっそうやましい気持ちにしてくれる。
そっと肩越しに窺えば、置いてけぼりを食らった格好のアスマ先生がこちらを見ていたのに目が合い、アスマ先生は片目を瞑ってみせるとにやにや笑いながら、夕暮れ時の人込みに紛れて行ってしまった。
「うわ、立派な竹ですねえ」
カカシ先生は感心したように言う。
「アカデミーでお使いになるんですか?」
「・・・いえ」
「え、だってでもコレ七夕飾りでしょ?」
「ええ・・・いのに、アカデミーの教え子だった子に花屋の子がいて、貰ったんですよ」
「はあ、成る程。・・・にしたって大きいですねえ、コレお家でお使いに?」
カカシ先生はしきりに感心したようにそう言って、手を伸ばして笹の裏や表を眺めている。
「・・・・・・カカシ先生」
「はい?」
俺は言った。
いのが笹をくれると言った時から考えていたことだった。
「明日、七夕の晩、これを飾ろうと思うんですが・・・・・・カカシ先生、いらっしゃいませんか?」
「え?」
カカシ先生の目が丸くなる。
俺は真面目な調子で繰り返した。務めて頬に血が上らないようにしながら。
「カカシ先生、来てくださいませんか、明日の晩・・・」
「あの・・・」
丸い目のまま、奇妙に間延びしたような調子でカカシ先生は聞いてきた。
「それは、アレですか・・・ナルトやサスケやサクラも・・・」
「いいえ」
改めて言えば、顔から火が出そうだった。
「あなたと俺の二人きりですが」
「・・・はああ」
肯定か否定かよくわからないような声を出し、カカシ先生は小首を傾げた。それきり彼は何も言わず、俺も黙ってしまった。
自分でも露骨だと思う。
七夕の晩に約束と言えば、夜に来いと言うことになる。
二人きりで一緒に夜を過ごすことになれば・・・当然そういうことになるだろう。それを見越しての誘いだった。
夕方から来て夕飯を食うだけの付き合いとは違うと。
七夕にかこつけて、それも教え子が好意でくれた竹を利用しての姑息な申し出に、自分でも最低な気がしたが、それでもどうしても言わずにいられなかったのだ。
彼の、返事が欲しかった。
頷いてくれるのか、それともまた笑ってかわされてしまうのか。
俺は返事が欲しかったのだ。
だが、カカシ先生は相変わらず小首をかしげたまま、空を見るようにして何も言わない。
やっぱり、ダメか、そう思い始めた頃、
「・・・いいですよ」
「・・・・・・え?」
カカシ先生はにっこりと笑って言った。
言ってくれた。
「いいですよ。お邪魔します、明日の晩」
少し遅れるかもしれませんけれど。
そう言って笑ってくれのだ。
「ほ、本当に・・・?」
「ハイ」
俺は。
嬉しかった。
とても。