七夕の夜は晴れそうだった。 それは本当にただの「感情」だった。
俺がそうしたいからしたいだけという。
愛情の確認とか、生理的な問題とか、そういったことは全て後からついて来た。
なにやらひどく動物的だと思えば消え入りたくなるような恥ずかしさも感じたが仕様がない。
実際それが本当のところだったから。
だが言い訳をさせてもらえば、彼だから、だった。
こんなにも、それこそ焦りにも似た感情を抱いたのは。
今まで不器用な恋愛しかしたことのない(そりゃ今のだって十二分に不器用だとは思うけれども)俺がこんなにも切羽詰って睦みあいたいと思うのは。
それは男同士であるという不安定な関係の所為だろうか。
それとも単に彼が格上の、俺とは違う世界を知っている人だからだろうか。
それでも、欲しいと思う。
俺が好きだと笑ってくれるあの優しい人の、奥の奥まで俺のものにしたいと思う。
こんな気持ちを知ったらあの人はどう思うだろう?いつものようにイルカ先生正直だと笑ってくれるのだろうか。俺の好きなあの目の際の笑いジワを見せながら。
「イルカ先生」
どんと体当たりでしがみついて来た。振り向かなくても分かる、その好き放題の髪を掻き回すように押え付け、出来るだけ怒っているような調子で声をかける。
「くぉら、ナルト。まとわりつくんじゃねえよ。オマエもういっぱしの忍者なんだろ?」
「えへへ」
照れたように笑ったイタズラ小僧は俺の腰に廻していた手を離した。
朝の任務拝受ラッシュが済んだ昼近い斡旋所の廊下は人通りが少なく、俺はナルトの頭をもう一度くしゃりとかき回してやった。
「今から任務か?」
「うん。さっさと行ってさっさと帰りてえんだけどカカシ先生が遅れたんで拝受遅くなったんだってばよ」
「さっさって・・・なんか予定でもあんのか、オマエ」
「馬鹿言ってら、先生。今夜は七夕だってばよ!笹流しに行くに決まってるってばよ」
ふふんと鼻を膨らますナルト。思わず目が大きくなった。
「笹・・・ってお前・・・」
「サスケバカのいのが笹持って来るから皆で集まって七夕やることになってるんだってばよ。キバやシノも来るって行ってたし・・・まあオレってばこんな餓鬼っぽいのはどーでもいいんだけど皆が来いっていうから仕方なくさあ」
気取って言っても、うきうきとした調子は隠せない。興奮して心持赤くなったナルトの顔を見て俺は不覚にも泣きそうになる。
「・・・そうか、笹流しか・・・」
いつも一人ぼっちだったナルトが友達と七夕を過ごす。
なんて。
誘ってくれたのはサクラだろうかサスケだろうか。それとも他の班の子だろうか。俺はその子に頭を下げて礼が言いたかった。
嬉しかった。
「そうか・・・よかったなあナルト。楽しんで来いよ」
「先生こそ」
擽ったそうにナルトは言う。照れ隠しか、つっかかるように。
「今夜どーなってんだよ。七夕も一人なワケ?それって寂しすぎるってばよ。誰か誘う女の人とかいねーのかよ?!」
「・・・余計なお世話だ」
俺だって今夜は予定がある。だがまさかナルト相手に言える筈もなく。
そんな俺の態度をどうとったのかナルトは大袈裟に嘆いてみせる。
「イルカ先生ってばダメじゃん。そんなだからお嫁さんのアテもないんだってばよ。・・・俺達のとこ来る?」
「よせよ。そこまで落ちてねえって。オマエ等だって大人がいない方が楽しめんだろう?」
ヘンな気を使うなと小突けば、ナルトは肩を竦めて言った。
「あのカカシ先生でさえ今夜は予定があるのによぉ」
顔が熱くなった。まさかナルトにバレてはいまいが、務めて興味のないような調子で聞いてみた。
「へえ、カカシ先生が?」
いつものように頭の後ろで腕を組んでナルトはけろりと言った。
「うん。シカマルんとこの鬚の先生と約束してた」
え。
なっ。
なんだって。
「嘘だろ!」
「え?」
俺の剣幕にびくりとナルトが肩を揺らした。先生?と訝しそうに聞いてくるのに頓着せず、その細い腕を掴んで問い質す。
「カカシ先生が今夜なんだって?!」
「え・・・だからシカマル達のあの鬚の大きな先生と約束してたってばよ?」
「嘘言うんじゃない!」
「嘘なんか言ってねえってばよ!朝入れ違いになった時二人で話してたってばよ!」
嘘吐き扱いされたナルトが大声で叫んだ。
「カカシ先生に俺に恥をかかすんじゃねえよって言って、カカシ先生も必ず行くからって答えてたってばよ!」
腰にまわされていた手。
あんたも物好きだなセンセイ。苦労するぜ。
そう言って笑った男くさい笑顔。煙草の臭い。
あのクマああ見えて繊細なとこありましてね。心配させてると思います。随分面倒かけてるから、俺。
そう言って目を細めたカカシ先生。
「・・・イルカ先生?」
ナルトが心配そうに覗き込んでいた。
「どうしたんだってばよ。顔色悪ぃ・・・」
「・・・いや・・・すまん、ナルト」
「先生?」
「イルカ!」
受け付け業務を一緒にしていた中忍の一人が大きな声で俺を呼んだ。ひどく慌てた様子で、
「すぐアカデミーに戻ってくれ。お前さんの受け持ちの子供が怪我したらしい。たった今連絡が来た」
「何ですって・・・!」
怪我。
いいですよ。お邪魔します、明日の晩。
そう言って笑ってくれたカカシ先生。
けれど腰にアスマ先生の手。
怪我。
アカデミー。
子供が、怪我。
俺は混乱しそうになる頭を振って走り出した。
センセイ、ごめんなさいとひばりがしゃくりあげるのを背中を撫でて宥めてやった。忍び走りの練習中、順番待ちの間に友達とじゃれて転んだのだ。ふざけた友達の手を避けようとして手すりを越え転がり落ちた時に頭を打って気絶したらしい。
打った場所が場所だけに医者に見てもらうことになったが、彼女の両親は共働きで連絡がとれない。耳の遠い祖母に代わって担任の俺は彼女を背負って病院へ行った。
ひばりは活発な子でいつも明るくにこにこと笑っている。それが気が付いてからずっと泣いているのが可哀相だった。痛いかと聞けば痛くないと答える。聡い彼女が俺に気を使っていると分かって俺は優しく背中を撫でてやった。気にするな、先生が子供の頃なんてもっと先生のこと困らせてたんだからよ。そう言えばひばりは涙だらけの目を丸くして本当?と聞いて来た。俺は本当さと笑ってやった。
病院は混み合っていてなかなか順番は回ってこなかった。アカデミーから連絡を入れてもらっていたので優先してもらえたがそれでも時間がかかり、戻ってからもいろいろあって俺はばたばたと日を過ごしてしまった。
カカシ先生には勿論会えなかった。
今夜の確認をとりたかったがどうしようもなかった。
いいですよ。お邪魔します、明日の晩。
・・・・・・本当に?
不安に思いながら買い物をすませ、家に戻った。いのにもらった笹は昨日のうちに飾り付けてある。アカデミーで笹の飾り付けをした時、先生の家にも笹があるんだと話をしたら子供達がいろいろ作って持たせてくれたのだ。紙で作られた輪っかや細工ですっかりキレイになった笹。それを眺めながら一杯やろうと思っていた。カカシ先生と二人で願い事を書こうと短冊も用意してある。それから二人で笹を流しに行って。
それから。
だが。
用意がすっかり整っても、カカシ先生は来なかった。