見上げれば時計の針は短針が11と12の間、長針が9を過ぎている。
俺は小さく溜息を吐いた。
「これは・・・すっぽかされたのかな」
口に出せば一層へこむだけと分かっていたが、それでも言わずにいられなかった。
いいですよ。お邪魔します、明日の晩。
あの笑顔に嘘はなかったと思う。
アスマ先生に誘われたというなら、もしかしたら大事な用事だったのかもしれない。
けれど。
何も、今夜。
それは絶対断れないものだったんですか?
「だって・・・俺の方が先約だったじゃないですか・・・」
俺を、優先してはくれなかったのだろうか。
そんな恨みがましい言葉が浮かぶ。
どうしようもなかったのかもしれないけれど。それならそれで連絡くらい欲しかったなあと卓袱台に突っ伏しながら考える。料理はもう冷蔵庫にしまったり鍋に戻してしまった。夜風にそよぐ笹のさらさらと鳴る音も俺をへこます材料にしかならない。
「それとも・・・やっぱり嫌だったのかなあ」
明日になればまたカカシ先生はあの笑顔で昨夜はすみませんとか言って笑うのだろうか。そうして今までの通りの付き合いを?
「・・・・・・がっついてたの、バレてたのかなあ。それで引かれちゃったとか・・・」
期待していた分だけへこみも大きかったが、それよりなにより。
なんと言うか、どうしようもない縁の薄さのようなものを感じてしまったのだ。カカシ先生との間の。
「コイビトとか・・・そういう縁じゃなかったのかな」
好きだと思った。
もっと近しくなりたかった。
カカシ先生はそうは思ってくれなかったのだろうか。
俺の一人相撲だったのだろうか。
それならば。
もうきっぱり諦めた方がいいのだろうか。
ちらりとまた時計を見れば。
長針も10を越えていた。
もう、寝ようかと立ち上がりかける。いのには申し訳ないが、折角の笹も一人じゃ流しに行く気にもならない。
と。
その時だった。
どん!
不意に玄関から大きな音がした。誰かがドアを叩いているらしい。こんな夜ふけに。
どんどん!どん!どん!
咄嗟に反応出来なかった俺に構わずどんどんとドアを叩く手は止まず。どころかますます忙しなくなった。そして。
「イルカせんせえ〜、いーませんかァ?もう寝ちゃったア?」
「カ、カカシ先生?」
どんががんに変わり、ノブががちゃがちゃと回る。慌ててドアを開けば。
「わ!」
「っととォ」
カカシ先生が頭から突っ込んできた。どうやら先ほどのがんは頭でドアを叩いていた音らしかった。
「いたぁ、イルカせんせえぇ」
うっふっふと俺の腕の中でカカシ先生が笑った。一体どうなさったんですかと言いかけ、俺は咄嗟に鼻と口を押さえてうめいてしまった。
く。
臭い。
めちゃめちゃ酒臭い、このヒト!
身体に力が入らないのかぐんにゃりと凭れかかってくるカカシ先生の身体は熱く、息も髪もそれこそ体中から酒の匂いをぷんぷんさせていた。何やって来たんだ、この人・・・!
「ふっふっふ」
カカシ先生が酔っ払い特有の緩んだ調子で、それでも不穏に笑う。
「どぉですか〜、間に合いましたかあ」
「は?」
「間に合ったでしょ〜?まだ七日ですよねえ?」
ぐにゃぐにゃに聞かれ、慌てて振り向いて時計を見れば、確かにまだ数分あった。
「ええ、まだ七日ですが」
「オッケエ!流石カカシせんせい!えらい!」
うっひょっひょとカカシ先生が笑い出した。慌てて彼の身体越しにドアを閉め、ぐんにゃりした身体を支え、部屋に上がった。
「カカシ先生、いったい・・・」
「ふっふ、潰してやりましたあ、全部!ざまーみろい」
「は?」
「アスマにガイに紅に」
「はい?」
「ゲンマにライドウにアオバにイビキにアンコちゃんも潰してやりましたあ!誉めて誉めて、せんせい〜」
まさか。
「潰したって・・・酒、ですか?」
「うっし」
なにやってんだ、この人。
まじまじと見れば、カカシ先生は相変わらず緩んだ調子で、それでも困ったように言った。
「だって〜、仕方なかったんですよぉ、アイツら放してくんないんですもの」
「・・・なにがあったんですか?」
くしゃ、とカカシ先生の顔が歪んだ。イルカせんせえ、聞いて下さいよォとしがみつかれる。
「あいつらね、あいつら酷いんですよ!」
「へ?」
「あいつら飲み会計画しやがったんですよ!七夕だから星見で一杯って」
「あ、それで・・・でも酷いって?」
「酷いでしょう?酷いはずです。だって俺が今夜イルカ先生と七夕デートだって言ったから計画しやがったんですよ、アイツらァ!!」
あ。
「俺、嬉しくてちょっとのろけただけなのに〜、アイツらヘンな風に根に持って」
今朝イキナリ言われたんです、俺今夜は塞がってるって知ってるくせにアスマの野郎ォ、幹事の俺の顔を潰す気かって。にやにや笑っていやらしい〜。
「で、途中で抜けてもいいから顔だけ見せろって言うから行ったのに。・・・皆で面白がって人のこと帰そうとしないんですよ!集団イジメだ!やっかみだ!!」
「それで皆さんを・・・?」
恐る恐る尋ねれば、またもふっふと笑って。
「ハイ、潰してやりましたあ〜」
つ。
潰したって、でも。
少しのお酒で上機嫌になるガイ先生はともかく。
アスマ先生はもの凄くお酒が強い。紅先生なんてザルどころかワクだって・・・。アンコさんは甘いのも強いが相当いけるクチだって聞いてるし、イビキさんなんて如何にも・・・。
それを?
「ぜ、全員・・・ですか?」
「はい〜」
Vサインのカカシ先生。
「ちょぉっと梃子摺りましたけどぉ。紅がねえ、最後なかなか潰れなくてェ、あのアマ、むちゃくちゃですよお」
むちゃくちゃはアンタじゃ・・・。
ぐにゃんぐにゃんの身体をとりあえず寝台へ連れて行く。気をつけて下さいと声をかけ、カカシ先生をどうにか横にならせた。
はふうと息をつき、面布を下ろしたカカシ先生の顔は真っ赤だった。
・・・俺の為に、頑張ってくれたんだ。手段はともあれ。
「無茶をなさって・・・」
そう言って髪を梳けば、カカシ先生はくすぐったそうに笑って。
「だって約束したでしょ、七夕は一緒にって・・・」
「ええ」
俺の為に。
さっきまでのぐちぐちした自分が、顔から火が出るほど恥かしかった。
・・・カカシ先生、疑ってごめんなさい。
「酒飲んだ後、大急ぎで来たからちょっとまわってるだけです。ご心配なさらずに」
黙りこんだ俺の掌に頬を擦りよせ、カカシ先生はそう言ってまた笑った。
「無茶をなさる・・・」
「・・・だって七夕終わっちゃうかと。いいでしょ、俺がそうしたかったんです」
この人は。
もう十分だ。そう思った。
「あ、待ってて下さい、水を」
だが、そう言って離れようとした途端。
え。
ぐるりと天井が回り。
俺はぱすんと布団の上に落ちた。
「え?」
「水なんていいですよ〜」
それより。
いつの間にか身体を起こしたカカシ先生が楽しげに俺の身体を跨いで。
「え?」
イルカ先生、と息を含んだ声で俺を呼びながらカカシ先生はゆっくりと胴衣の前を開いていく。
「え?・・・え?」
するんと胴衣を落としたカカシ先生は身体を曲げて俺の顔を覗いて笑って。
「イルカ先生・・・俺にマーキングしたかったんでしょ」
「え?」
くっくと笑うカカシ先生の身体は相変わらず酒臭くて、でもめちゃくちゃ熱くて。
「そうでしょ?」
「お、俺は・・・」
「だって顔にそう書いてあったもの」
「・・・!」
俺は真っ赤になった。
み、見透かされて・・・!
「でもさあ、先生知らなかったでしょ?」
そう言って。
ゆるゆると、カカシ先生は自分の黒のアンダーの裾に手を差し入れ。
「俺もイルカ先生にマーキングしたがってたって」
そのままゆっくりと自分の腹筋を摩るように腕を上げ、白い腹を俺に見せるように晒した。・・・酒の所為で傷が赤く浮かび上がったそれは、それは。
「う、嘘・・・」
「嘘じゃないよ、もうずっと前から」
そう言ってカカシ先生はまた笑った。
「イルカ先生、ご自分で手一杯で分かんなかったかもしれないけど」
「だ、だって!」
じゃ、じゃあ。
「じゃあ、どうして?俺が泊まっていきませんかってアレほどお誘いしたのに・・・」
「だってイルカ先生、次の日用事がある時ばっかり誘って下さるんですもんよ」
は・・・?あ、いや、確かにそうだったけれど。
「わざとかと思いましたよ〜。遠まわしに釘刺されてるのかなあなんて思ったりしました」
「や、いえ、そんな・・・!」
「分かってますよ」
くすりと笑って。
「イルカ先生、間が悪いだけですよね」
「・・・はあ」
「でも今夜は問題ないんでしょ?」
「え」
そう言うカカシ先生の目は濡れていて。決して酒の所為だけではないそれは。
「だから誘ってくれたんでしょ?」
「あ・・・」
イルカ先生。
息を含んだ声で囁かれて。
「俺にマーキングしてよ・・・いっぱい。先生のしたいように、マーキングしてよ」
そう言って俺の身体の上で肌を晒すカカシ先生は壮絶に色っぽくて。常より熱い身体も、その所為で傷の浮かび上がった様も、ちょっと悪そうに笑うその顔も、みんな、みんな・・・!
「・・・ね?」
だから、俺は。
その。
俺は。
俺は。
翌日、昼を随分まわってから俺は笹を担いで川の方へと歩いて行った。
ちなみにカカシ先生はまだ臥所の中で。
流石に今日ばかりはいつまで寝ているんですかと起こすわけにもいかず、俺はこっそりと寝床を抜け出し、一人で笹を流す為に川へ向かっているわけだった。
「あー、イルカ先生」
「よ、よう、いの」
途中で思わぬことにいのと出会った。こちらの事情が事情だけに今元生徒の彼女と顔を合わすのはなんとなく気恥ずかしかったが、
「イルカ先生ー、なあに、今頃笹流しに行くのー?」
と言っていのに覗き込まれる。
「・・・っ、わあ、先生なに、お酒くさぁい!」
わかった、昨夜飲み過ぎて今頃になったのねーといのは呆れたように言う。まさか言い返せずに
「はは、まあそんなところ・・・だ」
と曖昧に笑えば、
「男ってー、これだからあ」
などといっぱしの口調で言われてしまった。
「ま、じゃあ、そういうことだから、俺行くな」
「あ、イルカ先生ー、その様子じゃやってないでしょ?」
「あ?」
「宿題!竹の花言葉ー」
「あ・・・すまん」
「もぉ」
はは、と笑って正解を教えてくれよと頼めば、仕方ないわねえといのは胸を反らして教えてくれた。
「竹の花言葉はー、『節度』に『節制』」
・・・言われて節度も節制もない教師は赤くなって下を向くしかなかった。
完
竹の花言葉は「忍耐」というのもあります。
コレはコレでこの場合笑えたり・・・!
ちなみに笹ですと「ささやかな幸せ」
コレもコレでこの場合笑えたり・・・!