俺が好きなお前だけでも好きになれといった奴がいた。
 自分が大嫌いだった俺にそう言った。
 泣くのが下手で笑うのが下手で、いつも不貞腐れたような顔をしていた俺に言った。
 その頃、俺は両目を出していたから余計に可愛げなく見えていたと思うが、そいつは俺を好きだと言った。そんなことを言われたのは初めてで、そいつは俺の中で一番大切な人間になった。
 自分自身を少しでも好きになるように無理矢理約束させられた夜、俺は布団の中で泣いた。そいつの前では泣けなかったけれど、布団の中で泣いた。そして、一生そいつを好きでいようと思った。神様よりも好きでいようと。
 今もそれは変わらない。
 そいつが声も手紙も届かない場所に行ってしまってからも。
 それは俺の中のたったひとつの綺麗な気持ちだった。

 

 

 酒は好きでも嫌いでもなかった。あれば幾らでも飲んだし、無ければ無いで一向に構わなかった。顔にはあまり出ないので底無しだと言われていたが、実は一定を超えるとどっと来る質だ。しかし「男は頭で酔っ払う」の俗説通り、いつも自分で歩いて帰っていたので周囲にバレてはいないらしい。
 だが、その晩はちょっと様子が違っていた。
 酒を飲みませんかと誘ってきたのはイルカ先生の方からだった。正確には、飯食いませんかだったのかもしれない。けれど俺達のような独身男が飯を食えるような場所は木の葉隠れの里にはあまり多くは無く、時間的にも飲み屋くらいしか手ごろな店がなかったのだ。
 彼と知り合ってから、そろそろ二月が過ぎようとしていた。彼は問題児だったナルトの任務先での様子を知りたがり、俺にマメに声をかけてきた。
 俺は上忍で、彼は中忍。
 身分がどうのと黴の生えたようなことを言うつもりはなかったが、彼が気さくに俺に話し掛けてくるのが、俺にはとても不思議だった。
 というのも、俺には奇妙な「通り名」があったからだった。が、それは里の中よりも寧ろ国外の方で有名だったから、彼は知らないのかもしれないと、俺は少し好意的に考えてもいた。何と言っても彼は実働部隊ではなく、アカデミーの教師だったのだから。
 だが、彼の気さくな態度は不思議であると同時に新鮮で、決して不快なものではなかった。少し恥ずかしそうに笑いながら、先生ちょっといいですかと声を掛けてくる。エリート、と里では呼ばれる立場の俺に対して媚びるような態度をとる奴もいたが、彼にはそういった計算は感じられなかった。何より彼の話の内容はナルトナルトで俺には可笑しかった。なんという人の好さだろう。
 ・・・はっきり言ってしまえば、俺は彼をかなり好きになっていた。人付き合いに淡白だと注意されていた俺が。
 彼は空っぽの袋のようなところがあって、大抵のことは偏見無く取り入れられるようだった。だが一方で酷く頑ななところもあって、一度下した判断は容易に変えないらしかった。
 この相反する性質は、彼の人付き合いにそのまま反映していた。誰とも色眼鏡なしに付き合うが、一旦嫌った人間はもう二度と許せないようにも見える。
 「先生はいい人ですねえ」
 あまり強くはないのか、単に代謝がよいのか、ぽやっと赤い顔になった彼がこう言ってきた。
 「俺がですか?」
 そりゃ新説ですね、イルカ先生。
 「ええ、里の問題児のナルトにも訳隔てなく接して下さってるし、俺みたいな中忍の誘いにも応じて下さるし」
 ありがとうございます、とぺこりと頭を下げた。
 「・・・たいしたコトじゃないでしょう、これくらい」
 「え、でも俺、嬉しかったんです」
 そう言って本当に嬉しそうに笑う。
 唐突に可愛いと思った。
 今目の前にいるのは立派な成人男性で、可愛いなんてコトバで括るのは間違っている筈だった。にもかかわらず、俺はこの男を可愛いと思った。そしてそれと同時に、可哀想だとも思った。
 「先生、これからも、お誘いしても構いませんか?」
 酒の入った頭でぼんやりと考えていたところへ訊ねられ、一瞬なんの事だか分からなかった。
 「は?」
 聊か間抜けた声の返事になったが、俺を怒らせたとでも勘違いしたのか、彼は慌てて、
 「や、その、また、こういう風にお付き合い願えればと思って・・・あの、勿論カカシ先生のお暇な時にでも・・・」
 ・・・首まで真っ赤だった。そしてその理由は多分、酒とは関係ないものだろう。
 「誘って下さるんですか?嬉しいなあ」
 殊更明るく返事を返してやる。
 「ほ、本当ですか?」
 「ええ、勿論です」
 彼の顔がぱっと明るくなった。その変化には何かこそばゆい感じがしたが、悪い気はしなかった。そして俺は、やはり彼を可愛いと思った。
 そんなこんなで好い気持ちになってしまったのが良くなかったのか、気が付けば結構な量を過していた。安い酒の割に気持ちよくいってしまったのは相方の所為だろうか。だが。
 (ヤバい)
 視界に斑点が見えていた。
 「ほら、先生しっかりなすって」
 飲み屋のオヤジが彼の肩を揺すっていた。さっきまで笑いながらアカデミーの話をしていたと思ったのに、すっかり眠り込んでいるらしい。
 「仕様がねえなあ、アンタ、先生のお連れさんだろ?連れて帰ってやっとくれよ。ウチももう看板だからさ」
 顔に出ないのが災いして、俺は斑点だらけの視界の中、正体の無いイルカ先生を押し付けられてしまった。代金はツケとくからさ、気ィつけて帰んなと豪快に笑うオヤジに、大して反論も出来ずにおん出されたのは、やはり俺もしたたかに酔っていたからだろう。そしてそれからやっと気が付いた。
 「イルカ先生」
 「・・・」
 「起きてくださいよ、先生」
 「・・・」
 「俺、先生のウチ知りませんよ?」
 「・・・」
 腹が立ってきた。視界の斑点はどんどん大きくなってきたし、夜はまだ薄ら寒いし、何より肩の酔っ払いが重い。
 「先生」
 これで起きなかったら地面にほん投げてやる。そうすりゃ幾らなんでも目を覚ますだろう。そう物騒な決意を俺が腹の中で固めた時、彼の目がうっすらと開いた。
 真っ黒な、瞳。
 少し目尻の下がった、今は眠そうに重い瞼から覗いている真っ黒なそれ。俺が鏡の中に見つける色素の薄いそれとは全然異質な。
 「・・・イルカ先生、目が覚めました?」
 「カカシ先生・・・?」
 とろとろんとした目付きで俺を見ている。頭の中はまだ夢の国らしい。
 肩で支えているので、互いの顔が直ぐ側にある。地味な印象の彼の顔に派手に付いている古傷。その皮膚との境目が酔いの所為で赤く浮き上がって見える。
 訳も無く俺の胸が騒いだ。
 「わ、わわっ!カ、カカシせんせいっ・・・?!」
 ようやっと現状が認識できたらしい酔っ払いは、大慌てで俺の腕を振り払った。
 が、同じように酔っ払いな俺も、咄嗟の事に反応が遅れ、地面に尻餅を着いてしまった。なんてこった。上忍様がみっともない。
 「す、すみませんっ・・・!」
 結果として、突き飛ばしたような形になり、彼はひどく慌ててしまった。
 「だ、大丈夫ですか?」
 そう言って手を差し出してきた。
 俺にか?
 またも理解が遅れた。だって、女子供じゃあるまいし。
 差し出された手を無言のまま、うろんと眺めていると、彼も気付いたらしく急いで手を引っ込めた。
 「す、すみません」
 「ああ、そうか」
 彼は忍師、アカデミーの教師だった。年少の子供が転んだりすると、こうやって手を差し伸べたりもするのだろう。しかし、それをこの俺にまで。
 「職業病ですね」
 言ってやると、また赤くなった。
 「いえ、カカシ先生を子供扱いとか、そーゆうんじゃ・・・」
 「分かってますよ」
 そう言って軽く笑ってやると、彼は目に見えてほっとしたようだった。立ち上がって腰の辺りに付いた土を払っている俺に声をかけてきた。
 「先生」
 「はい?」
 「宜しかったら、ウチに寄ってって下さいませんか?お茶くらいいれますよ」
 転ばせちゃったお詫びに。そう言って笑った。
 「・・・いいんですか?」
 「ええ、俺一人暮らしですから」
 俺の家は丁度里の反対側で、距離があった。此の侭歩いて帰れないことはなかったが、少々咽喉が乾いていた。茶なり水なり貰って、すっきりしてから帰るのは酔っ払いの俺にはとても良い方策に思えた。
 後悔というのは、後で悔やむからこう書くのだ。誰が考えた文字かは知らないが、嵌り過ぎてクソ腹が立つ。